「斎藤元彦氏の圧勝」は選挙制度の"欠陥"である…「2人に1人が投票所にたどり着けない」高齢世代の深刻な格差
■そもそも車がないと投票所まで行けない そんな要介護3、そして2の両親に「衆院選、投票所にはどうやって行くつもりか?」と私から声をかけたのは、石破茂首相が前代未聞の解散総選挙に打って出ると表明した数日後だったと記憶している。彼らの住む地域の投票所は、とてもこの2人が独力で移動できる距離にはないからである。 話を進める前に、母が今夏の入院前まで車で買い物に行っていたとの事実に驚かれた方もいるだろう。「お前は医者なのに、90歳超の高齢者に運転させていたのか」と批判されるかもしれない。 昨今、ニュースで高齢ドライバーの事故が大きく取り上げられることはもちろん私も承知している。母の運転する車に同乗してもなんらその技能に問題は感じなかったが、そうした世の中の雰囲気に流され、私も何度となく母にそろそろ運転は止めてはどうかと意見してきた。ときには口論にもなった。 一方、高齢者から車を取り上げることは、移動手段を奪うことになるという事実についても、当事者を取り巻く者たちは自覚せねばならない。運転を止めさせるからには、移動にかかる代替手段を提示し用意する必要があるのだ。 ■移動の支援+現地での支援も必要に だが「高齢ドライバーは危険」という報道において、高齢者から移動手段を奪うこと、それが高齢者を自宅に引きこもらせること、それが要介護者を増やす結果を導きかねないこと、そしてその対策にまで言及されたのを、私は寡聞にして知らない。 今回、母が運転を断念したのは、認知機能や運転技能が入院生活によって著しく低下したことが原因ではない。かりに車を運転してスーパーに行くことができても、その目的地で買い物をすることが、呼吸機能的にも下肢筋力的にもきわめて困難となったことを、自身で自覚したからである。 つまり、なんらかの移動手段で目的地に到達できても、その現場での移動に困難をかかえている人には、さらなる支援が必要ということなのである。 それは移動に困難をかかえている当事者こそが、もっとも自覚しているといえよう。じっさい私の問いに両親は「生まれて初めての棄権」を選んだ。いや、投票所に出向いて投票することを「断念」したのである。 当然私も、タクシーで投票所まで一緒に行き、そこから歩行が困難であれば車椅子を借りれば投票は可能ではないか、と何度も提案してみた。両親も今回の総選挙がいつにも増して重要なものであることは、私からあえて言うまでもなく理解している。その選挙区には「どうしても落選させたい候補者」もいた。