伊藤比呂美「 天津飯と『ろうやぼう』」
詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の連載「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。伊藤さんが熊本で犬3匹(クレイマー、チトー、ニコ)、猫2匹(メイ、テイラー)と暮らす日常を綴ります。今回は「 天津飯と『ろうやぼう』」。食べに行ってからハマっているという天津飯の話、そして一緒に食べに行った女友達のルッキズム論について――(画=一ノ関圭) * * * * * * * 天津飯にハマっている。 急に食べたくなって、女友達を誘って食べにいったのが発端だった。卵の部分はもちろんだが、なにより白いご飯がうまかった。とろとろのあんをたぷたぷにからませて口に入れるその感触が、至福すぎた。 家に帰って、そのまま毎日作り続けている。そういえばだいぶ前にオムライスにハマった。あのときのハマり方にも似てるのだが、天津飯は、オムライスより好きなんだと思う。飽きずに熱がずっと続いている。 二年前オムライス熱にかかったときに買った二十センチのフライパンは、丁寧に使っているからまだ新品同様で、毎回レンジの前でぴかぴか光るフライパンを取り出す瞬間も、誇らしくてとても好きだ。 嚥下障害のある高齢者は、とろみをつけたものならみ込みやすい。寝たきりの母もそうだった。病院の食事はみんな形をつぶされて、とろみをつけてあった。それを見て、いやだなこんなものを食べるのはと思っていたが、違う。知らなかっただけだ。おいしいのがわかった。今はもう、ああいう食事を食べるのが楽しみでならない。
七十五になる女友達がいる。天津飯を食べにいった友達だが、こないだはウチに呼んで町中華をやった。天津飯に麻婆豆腐(これも得意中の得意)、そして餃子専門店で買ってきた餃子を焼いて。 女友達は、学校の先生じゃないが「先生」と呼ばれるキャリアを持って生きてきた人だ。それがこの頃会うたびに中国の歴史ドラマ、「ろうやぼう」(『琅榜』)他の話をする。天津飯の日もウチ町中華の日もくり返したから、ついにあたしもその熱を理解した。 その彼女が「ルッキズムが」と言うのである。「ルッキズムが、それこそが私の人生で今まで全否定されてきたものだ。外見のよしあしでふりまわされるのは愚かなことだと信じ込まされて育てられた。私は熊本の田舎のよい子だった。質素に正直に誠実に、がモットーで、勉強するしかなかったのだ」 「あの頃人気があったのはロバート・レッドフォードとか『ウエスト・サイド物語』とかだったけど、私は見向きもしなかった。ビートルズや何かにハマってる子もいたけど、良い子(私のような、と身ぶりで示し)じゃなかったし、私はそんなもの、非現実の中でのあこがれにすぎないと思っていた。とにかく別世界だったのよね」と女友達は言った。