「もう終わりだ」 順調な日に一瞬にして襲いかかったプーチンの恐ろしい毒牙
死の間際
考えた末に「もう終わりかもしれない」と思ったわけではない。自覚があったからだ。 指で反対側の手首を触ってみる。ふつうなら、アセチルコリンという神経伝達物質が放出され、触ったという神経信号が脳に届くから、手首に何かを感じる。それは目でも確認し、触覚を通じて何なのか特定できる。今度は目を閉じて同じことをやってみるといい。手首に触る指は見えないが、手首に触れたことは簡単にわかるし、指を離した瞬間もわかる。 アセチルコリンが神経細胞間を伝わっていった後は、体がコリンエステラーゼという物質を分泌する。信号伝達作業が完了した瞬間に信号を止める役割の酵素である。この酵素が「用済み」のアセチルコリンを分解し、それとともに、信号が脳に伝達された痕跡もきれいさっぱり消失する。 この機能が働かなくなると、脳は手首が触られたという信号をいつまでも際限なく受け取り続けることになる。ウェブサイトに対するサイバー攻撃の一つにDDoS(分散型サービス拒否)攻撃というものがある。あれによく似ている。ふつうは1回クリックすれば、サイトが開くわけだが、1秒間に100万回クリックすると、サイトはクラッシュする。 DDoS攻撃に対処するには、サーバーを再設定するか、もっと強力なサーバーを導入するかだ。人間の場合はそれほど単純ではない。偽の神経信号が何十億回と押し寄せてくれば、脳は完全に混乱状態に陥り、目の前の状況を処理できなくなり、最終的に機能停止に追い込まれる。そしてしばらくすると呼吸停止が待ち受けている。呼吸自体、脳が制御しているからである。これが神経ガスと呼ばれる化学兵器の仕組みだ。 それでも私は力を振り絞って、頭の中で自分の体をチェックする。心臓はどうか? 痛みはない。胃は? 問題ない。肝臓その他の内臓は? 不快感はまったくない。総合すると? ひどく不快だ。あまりにひどすぎる。いつ死んでもおかしくない。 どうにかこうにか再び顔に水をかける。席に戻りたいが、自力ではトイレから出られそうにない。鍵がどこにあるかもわからない。いや、すべて鮮明に見えるのだ。ドアは目の前にある。鍵もそこにある。そのくらいの力は残っているのだが、この忌々しい鍵に狙いを定め、手を伸ばし、右方向にスライドさせることがとんでもなく難しいのである。 なんとかトイレからは脱出できた。通路にはトイレ待ちの列ができていた。みんな不満そうな表情を浮かべている。どうやら、思ったより長くトイレにいたようだ。酔っ払いとは動きが違う。よろめいてはいないし、誰も私のことを気に留めていない。ただの乗客に見えるのだろう。後日、キーラから聞かされたのだが、私が窓側席から出ていったときはいたってふつうの状態で、キーラとイリヤの前を苦もなく通っていったという。ただ、顔は青ざめていたそうだ。 トイレから出て通路に立ったまま、助けを求めようと自分に言い聞かせる。だが、客室乗務員に何をお願いするというのか。どこに問題があって、どうしてほしいのかもわからない。 客席のほうに視線を向けたが、すぐに反対方向に向き直った。目の前にはギャレー(調理設備)が見える。2メートル四方程度のスペースには、食事を運ぶミールカートがある。長距離フライトの場合は、ここに来れば飲み物がもらえる。 それにしても、本物の作家はつくづく特殊な人々だと思う。化学兵器の攻撃で死の淵をさまよっているのは、どんな感じかと聞かれても、私が思いつくことと言ったら2つしかない。『ハリー・ポッター』の吸魂鬼(ディメンター)と、トールキンの『指輪物語』に登場する幽鬼、ナズグルである。吸魂鬼にキスされても痛みはない。犠牲者はただ命が消えゆくことを感じるのみである。 ナズグルの最大の武器は、相手の意志と力を無力化する恐ろしい能力だ。私は通路に突っ立ったまま、吸魂鬼にキスされ、近くにはナズグルがいる状態だ。目の前の状況を理解できずに打ちのめされそうになる。生命が枯渇していく一方で、それに抵抗する意志もない。もう終わりだ。それまでの「もう我慢できない」という感覚が、「もう終わりだ」という感覚にものすごい力で急激に取って代わられようとしている。 客室乗務員が訝しげにこちらを見ている。離陸時に、私のPC使用を見逃してくれた乗務員のようだ。力を振り絞り、言葉を口にしようとする。自分でも驚いたが、「毒を盛られた。命が危ないんだ」という言葉が飛び出した。乗務員は、動揺も驚きも見せないどころか、心配する様子もなく、なんと薄笑いを浮かべている。 「どういうことでしょうか」 私は、ギャレーのフロアに立つ乗務員の足元に倒れ込む。乗務員の表情ががらりと変わる。転倒ではない。卒倒でもない。意識を失ったわけでもない。だが、通路に立っているのが無意味で馬鹿げていると感じたことは確かだ。そりゃそうだろう、死にかけているのだから。 間違っているなら訂正してほしいのだが、誰だって死ぬときは横になるものだろう。横向きに寝た。目の前に壁がある。もはや気まずさも不安も感じない。周囲に人が集まってきた。驚きや心配の声が上がる。 女性が私の耳元で声をかける。「どうしました? 気分が悪いですか? 心臓発作ですか?」 私は力なく首を横に振る。心臓は問題ない。 物事を考える余裕があった。死について巷で言われていることは真っ赤な嘘だ。生まれてからの人生が走馬灯のように浮かびもしない。最愛の人々の顔も現れない。天使も、まばゆい光もありゃしない。ただ壁を見つめて死んでいく。周囲の声がぼんやりとしてくる。最後に聞こえたのは、「お願い、目を覚まして、目を覚まして」という叫び声だ。そして死を迎えた。 ネタバレ注意だが、実際には死んでいなかった。 レビューを確認する
Alexei Navalny