【映像】“松井5敬遠”28年後の馬淵×林対談 「勝負になったら敬遠するかも」作戦は山下監督へ事前に伝えられていた(第1回)
対照的に、星稜の林監督には手応えがあった。2番・遊撃手で出場した1回戦の長岡向陵戦では2安打1打点と活躍した。 林監督 なんちゃってヒットばっかり(笑い)。でも1回戦は快勝という形で、先輩も私たちも調子が良かった。万全の状態で(明徳義塾に)挑んでいった。 自信を持って2回戦に臨んだ星稜。馬淵監督は、星稜の自信を揺らがせることで勝機を見いだそうとした。 (つづく=9回連載予定)
5打席連続敬遠
第74回全国高校野球選手権2回戦で、明徳義塾が星稜の4番・松井秀喜に取った敬遠策。第1打席は一回2死三塁、第2打席は三回1死二、三塁、第3打席は五回1死一塁、第4打席は七回2死走者なし、第5打席は九回2死三塁からの敬遠だった。第4打席になるとスタンドから「勝負、勝負」と怒声が上がり、第5打席の敬遠後にはスタンドからメガホンなどが投げ込まれ、一時中断した。試合は3―2で明徳義塾が逃げ切った。試合後に日本高校野球連盟の牧野直隆会長(当時)が異例の記者会見を行い「敬遠も作戦の内だが、走者のいない打席は勝負してほしかった」と述べた。「ルールに基づく戦術」「勝利至上主義」と賛否両論が起こった。
明徳義塾
1976年創立の中高一貫の私立校。野球部も同年創部した。甲子園初出場は明徳時代の82年春。夏は初出場の84年から2014年まで初戦16連勝。02年夏に甲子園初優勝。4強以上は松坂大輔(西武)を擁した横浜(神奈川)に敗れた98年夏を含め、春夏計6回。春は19回出場で25勝18敗、夏は20回出場で34勝19敗。
星稜
1962年に創立し、野球部も同年創部。山下智茂監督が率いて72年夏に甲子園初出場。79年夏の3回戦、箕島(和歌山)との延長十八回の激闘は「高校野球史上最高」の試合とも呼ばれる。95年夏には2年生エース・山本省吾(元ソフトバンク)を擁して準優勝。2019年夏も準優勝に輝いた。春は14回出場で9勝13敗、夏は20回出場で24勝20敗。