【卓球選手のセカンドキャリア】シチズン時計・渡邉将人 「卓球をやっていても仕事を頑張ればこれだけできるんだという姿を後輩たちに見せたい」
「卓球を10年やらせてもらったので、その分、周りからは遅れている感覚があったけど、上司にはその10年間を3年で取り戻せと言われて頑張りました」
現在シチズン時計の子会社の「シチズンウォッチ香港・台湾支社」の総経理(代表)を務める渡邉将人は青森山田高から早稲田大学へ進み、全国では最高成績がベスト16。実業団では難しいと思い、青森に帰り、公務員になろうかと考えていた矢先に卓球の名門、シチズン時計から声がかかった。 そして、入社するとメキメキと力をつけ、成績も上がり、国内最高峰の全日本選手権ではベスト8に4回入り、混合ダブルスでは優勝という実績を残した。そして現役を退いてから仕事に向き合いながら、4年前に台湾へ赴任した。 卓球が彼の人生を作り、現役引退後の仕事が今の彼を作っている。 「会社に入った時には資材部に配属、選手時代の後半は広報室に異動しました。入社した後、仕事もすぐにはできないし、卓球もそこそこでしたので迷惑をかけている気持ちがありました。でも職場の人が練習に行く時に『行ってらっしゃい』、試合から帰ると『おかえり』と、温かく接してくれたのでだいぶ救われました。 社会人になって強くなった理由は、考える練習が増えたこと。学生の時には漫然と練習をしていたけど、社会人になってから、いろいろなチームに練習に行かせてもらったり、中国、ドイツ、スウェーデンに行かせてもらい、経験を積みながら刺激を受けました。そして、社会人4年目くらいから自分の卓球を変えた。それまでは両ハンドをバカバカ打ちたいと思っていた。ところが実際には打てないボールも多いし、全部打てるわけではないので、陳龍燦や加山兵伍さんを見ていて、ブロックを覚えたほうが安定するし、長く現役でやれると思いました。それ以降、わざと相手に打たせたり、卓球のバリエーションが増えたことで、成績は安定したと思います」 31歳で現役を退き、2年間の卓球部監督を経て、仕事に専念した。 「同期でも上でも下でも優秀な人は多い。卓球を10年やらせてもらったので、その分、周りからは遅れている感覚があったけど、上司にはその10年間を3年で取り戻せと言われて頑張りました。広報・IRを3年やった後に、経営企画部に異動し、3年半。その後、3年間は国内営業に移りました。入社する時からいろいろなことを経験したいと思っていましたし、幸い卓球部を応援してくれる人がたくさんいましたので、異動に際しては上司の方にはかなり配慮していただいたと思います。 台湾行きは赴任する半年前くらいに言われました。最初は『転勤とか行ける?』と国内営業のトップの人に言われ、『行けます。札幌ですか? 福岡ですか? どこでも行けます』と言ったら、『台湾だけど』と言われ、『それは即答できないです』と返しました(笑)」 「台湾支社は販売会社ですので、商品を香港の親会社から仕入れて、ディーラーに販売しています。支社長としての仕事(総経理)なので、マネジメントもしなければいけないし、いろいろな角度から会社を見るようになりました。 シチズンは卓球引退後も仕事を頑張っているOBが多くいます。私も頑張ればできるんだという姿を後輩たちに見せたいですし、おこがましいですが、卓球部の後輩たちのロールモデルになれればと思っています」 (卓球王国PLUSより抜粋) [わたなべ・まさと] 1977年3月1日生まれ、青森県五所川原市出身。五所川原一中から青森山田高へ進む。3年の時にインターハイベスト16。早稲田大の社会科学部に入学し、卒業後はシチズン時計に入社。全日本選手権混合ダブルスで優勝、シングルスではベスト8に4回、16(ランク)に7回入った。現在シチズン時計の子会社の「シチズンウォッチ香港・台湾支社」の総経理(代表)を務める
卓球王国 今野昇