<春に挑む・’21福大大濠>支える人たち/上 初出場時の監督 教師として選手見守る /福岡
「選手には甲子園で勝つ喜びを味わってほしい」とエールを送るのは、福大大濠野球部OB会会長の中野正英さん(63)だ。1984年に初のセンバツ出場をもたらした当時の4代目監督でもある。「初めてセンバツに出られると決まった瞬間は選手一同歓喜に沸いたのを今でも覚えている」と記録を残した当時の野球部部集を見ながらふり返る。 中野さんは48年前、遊撃手として福大大濠に入学。主将も務めた3年最後の夏は、県大会の前戦となる南部大会で初戦負けだった。部集には「涙が一滴もでなかった。自分自身に歯がゆくて、情けなかった」とある。「教員になって母校に戻り、出場経験のなかった甲子園を目指そう」。保健体育の免許を取得し、福大大濠に就職した。1年目はコーチを務め、2年目の81年に監督に就任。鹿児島実業などの強豪校に頭を下げ、練習試合などをお願いした。そのかいあってか同年、夏の甲子園へ出場し、その3年後、センバツの出場切符を手にした。八木啓伸監督になったいま、中野さんは「甲子園が伝統のように続いてほしい」と語る。 そんな中野さんは、監督引退後もOB会長としてだけでなく保健体育の教師として野球部員と接する。投手の馬場拓海、森本光紀両選手や三塁手の友納周哉選手ら1年の授業を受け持つ。「友納や森本なんかはバスケはうまい。馬場はゴール板などにボールをぶつけてシュートを外すこともあり、野球をしている時とは違う顔が見られます」とほほ笑む。 北嶋瑞己選手(1年)は「県大会の決勝で打球が当たり骨折した時に『大丈夫か』と声をかけてもらった。気にかけてくれる人がいてうれしかった」と語る。 中野さんは月に1~2回グラウンドに足を運ぶが、選手に声をかけずネット外の小屋で選手たちの背中を見ているだけ。「センバツが楽しみです」と期待を膨らませる。【大坪菜々美】 ◇ ◇ 19日に開幕する第93回選抜高校野球大会に4年ぶり5回目の出場となる福大大濠。大舞台での活躍に期待を寄せ、野球部を支える人たちを紹介する。 〔福岡都市圏版〕