昔の日本人はどのように「キツネにだまされて」いたのか? その「手口」のパターンに迫る
不思議な力で足止め
このかたちをパターンⅠとするなら、パターンⅡは次のようなものである。かつては内陸部の村に海の鮮魚が入ってくることはなかった。入ってくる海の魚は塩物といわれるもので、塩ザケ、サンマの干物、イワシやアジの干物といったものである。それも常時売っているわけではなく、ときどき村のどこかの店に大量に入り、入ると村人が買いに行くというかたちだった。 ある日村の一軒の店にサンマの干物が入った。子どもが買いに行くように言われ、自転車でその店に行った。そういうときは魚箱一箱単位で買うことが多く、子どもは自転車の荷台に魚箱を載せ、縄で縛って店を出た。と、家へと帰る途中で、急に自転車のペダルが重くなり、ついに少しも前に進まなくなってしまった。「いったいどうしたんだろう」と自転車から降り、暗い夜道でいろいろ点検したりする。しかし異常はみつからない。それではともう一度自転車に乗ってこいでみると、何てことはなく前に進む。「ああよかった」と思いながら子どもは家路を急ぐ。 そうやって家に戻ると、しっかり縛ってあったはずの荷台の魚箱がなくなっている。「しまった、キツネにやられた」。ペダルが重くなったところから、キツネが仕掛けていたのである。 このパターンもパターンⅠと同じように、かつては村の人が誰でも一度は経験したというほどに、たくさんの例がある。魚を運ぶ途中が特に多かったらしいが、取られるのは他の食べ物のこともあるし、歩いていてしてやられることもあった。急に足が重くなり、ついには歩けなくなって一休みする。と、ウトウトとしてしまい、気が付くと荷物がなくなっている、というようなものである。 このパターンⅡは、疑い深い人なら、本当にキツネの仕業だったのだろうかと考えることだろう。私はそのことは問わない。かつては人々の生活世界のなかに、それが事実であったにせよなかったにせよ、キツネがたえず介入し、キツネの介入を感じながら暮らしていたという、この事実だけを押さえておけばここでは十分である。実際村人は、このような話を疑うことはなかった。(続く) レビューを確認する 第2回では、ますます不可解な2つのパターンを見ていく。現在の私たちには納得がいかないかもしれないが、当時の人々はたしかに「だまされて」いたのである。
Takashi Uchiyama