「夫の戦死が誇らしい」手紙につづった母は、仏前で毎晩のように涙を流していた #戦争の記憶
夫の戦死を「光栄」と手紙に書いたツルヨさん
今は、ひとつ年下の妻・富子さんとの二人暮らしで、時折、近くに住む孫も遊びにくる、にぎやかな家庭を築いている。そんな信春さんに母・ツルヨさんの手紙を返還した。 *** 妻・今村ツルヨさんからの手紙(1946年6月27日) 「呈上 君のため国のため、一命を投げ捨てて鴻恩(こうおん)に報い奉るは、軍人として最も光栄ある道と存じ上げます。 (中略) 幸いにして軍人として死に場所を得た事、限りなき名誉と存じます。 妻として、これ以上の満足はございませんが、十分の働きもなく御奉公半ばに戦死仕りました事、これのみ心残りに御座います。しかるに忝くも、陸軍兵長に進級させて戴き、誠に有難く存じます。 この上は、一家一同夫の霊を慰むると共に、全力を尽くして国家再建に奮闘いたします。軍人の家族として、名を汚さぬよう致さねばならぬと誓って居ります。 いずれ葬儀のすみ次第、御礼申し上げますが、取り敢えず書中をもって御礼申し上げます。 6月27日 今村ツルヨ 伊東孝一様」 ***
毎晩のように仏前で泣いていた母
巻紙の和紙に揮毫(きごう)された立派な書簡。そこには、夫の戦死を誉れとする、軍人の妻としての強い覚悟が綴られている。 しかし、信春さんによれば、 「そんなわけないですよ。毎晩のように、仏前で涙を流していたもの……」 ある日、新しい夫への気遣いから、勝さん所縁の遺品を処分したツルヨさん。それに気づいた信春さんが家中をくまなく探しても、出征前に切った遺髪や爪など、わずかなものしか残されていなかった。 「その時は母を責めました。私にとっては、血のつながった父の大切な遺品ですから」 伊東大隊長に、「母が書いた手紙をコピーでもいいので欲しい」と懇願した理由はここにあった。地元の遺族会の副会長を務め、沖縄に何度も足を運んで慰霊と調査を続けていたのも、父のことをもっと知りたいと思うがゆえの行動だったそうだ。 ※『ずっと、ずっと帰りを待っていました 「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』より一部抜粋・再編集。
デイリー新潮編集部
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