「悪性リンパ腫のステージ4をテレビで告白」笠井信輔(60)が貫いたワイドショーアナとしての姿勢と「家族は合わせ鏡」と語る意味
フリーに転身して前途洋々なはずの人生が、2か月で暗転します。笠井信輔さんを待っていたのは、「悪性リンパ腫のステージ4の宣告」でした。好んで病名を公表する人はいませんが、「でも…」と声をあげたのは、ワイドショーの中にいた人としての、責務でした。(全5回中の1回) 【画像】これはつらい…抗がん剤の副作用で苦しむ様子さえSNSで発信した笠井さんの写真 ほか(全21枚)
■「アナウンサーの仕事がなくなり」退職を決意 ── 順風満帆なアナウンサー生活を送っていた笠井さんですが、56歳でフジテレビを退職したのはなぜでしょうか?
笠井さん: 簡単な話で、フジテレビにアナウンサーとしての居場所がなくなったからです。『とくダネ!』が始まった当初から、2時間の放送時間枠のなかで私は30分くらいを担当してしゃべっていました。それが10年以上続いたんですが、長寿番組の宿命といいましょうか?若いアナウンサーの登用で最後の1年は、毎日1~2分程度しか話す機会を得られませんでした。 私は『とくダネ!』担当時からデスクも兼任していて、ディレクターの原稿チェックや演出も手掛けていました。年齢を重ねると若手の指導の仕事も増え、だんだんアナウンサーとしての仕事がなくなって…。
こうなると、社内異動の可能性も出てきます。アナウンサーは弁も立つし顔も知られているから、異動後はわりといいポジションに就けるんです。でも、私は会社のなかで偉くなりたいわけではありませんでした。やっぱり話す仕事がしたかったんです。 さいわいなことに会社に所属しながら、映画祭の司会や講演会など、外部から仕事を依頼されることは結構ありました。そこで、56歳で退職してフリーになることに。周囲からは「あと4年在籍すれば退職金も満額もらえるのに、もったいない」と言われましたが、思いきりました。
■退職2か月後に「悪性リンパ腫が発覚」悪夢かと… ── 意外な退職理由ですね。2019年に退職した2か月後に、悪性リンパ腫と診断されたのはものすごいタイミングだったと思います。 笠井さん:悪夢かと思いました。フジテレビに勤めていれば、健康保険組合の傷病手当などで半年入院しても基本給の6~7割は支払われます。それが何もなくなってしまった。経済的な支えになったのは特約保険とがん保険でした。本当に助かりました。