「悪性リンパ腫のステージ4をテレビで告白」笠井信輔(60)が貫いたワイドショーアナとしての姿勢と「家族は合わせ鏡」と語る意味
最初は気休めだと思っていたんです。だから、インスタを頻繁に更新したのは、自分が亡くなるまでの記録を残しておけば、貴重な資料になるだろうという感覚でした。 でも、たくさんのメッセージをいただいて。「笠井さんに励まされています」という当事者の方やご家族の方からの言葉に、気持ちが変わっていきました。「この命は私ひとりだけのものではない。がんと闘っている患者さんやそのご家族のためにも、生きて帰るのが私に課せられたミッションだ」と、思うようになりました。
主治医の先生の治療のおかげで「完全寛解」することができました。完全寛解とは、がんによる症状や検査での異常が見られなくなることです。完全に治ったことを指す「完治」ではありません。それでも、日常生活を送れるようになり、現代医療の進化を身をもって体験しました。
■「家族は合わせ鏡」自分が変わり、妻や子どもも変わった ── 闘病中は、ご家族の支えも大きかったのではないでしょうか。 笠井さん:とても大きかったです。私が入院すると、妻も3人の子どもたちも優しくなったんです。
「やっぱり大病するとみんなが優しくなるね」と言うと、妻が「それは違います。自分では気づいていなかったかもしれないけど、あなたはこの10年間、家族が何かを言うとすべて否定語で返していました。“いや違う”、“わかってないな”って。それが入院したら本当に素直になったの。私も子どもたちも、こういうお父さんなら手を差し伸べようと思っただけなのよ。変わったのは私たちじゃなくて、あなたのほうよ」と言われたんです。
とても腑に落ちました。たしかに子どもたちが幼かったころは、子育てに熱心だったのですが、成長するにつれて、家族よりも仕事に力を入れるようになっていたんです。家族とは合わせ鏡のようなもので、自分の態度が悪ければ、家族からも相応の反応が返ってきます。 逆に、日々感謝をして笑っていると、自然と家族も同じようになってくれるんです。まず、自分自身が変わることで、相手も変化してくれるんだと学びました。闘病生活を支えてくれたのは、家族やインスタ、ブログで応援してくれた方々の力が大きいです。
PROFILE 笠井信輔さん かさいしんすけ。1987年 早稲田大学を卒業後、フジテレビのアナウンサーに。朝の情報番組「とくダネ!」を20年間担当後、2019年9月末日に33年勤めたフジテレビを退社し、フリーアナウンサーとなるが2か月後に血液のがんである悪性リンパ種と判明。4か月半の入院、治療の結果「完全寛解」となる。現在、テレビ、ラジオ、講演、がん知識の普及活動など幅広く活動している。 取材・文/齋田多恵 写真提供/笠井信輔
齋田 多恵