能登半島の子どもたちが“おらが街のスタジアム”で見せた笑顔。サッカーの絆がつないだバスツアー「30年後も記憶に残る試合に」
――それも素敵なエピソードですね。メインイベントの試合観戦はどうでした? 角田:サポーターの皆さんが、一緒に応援できるようにゴール裏のど真ん中の最上段を譲ってくれたんです。初めて試合を見る子どもたちは、目の前にコアなサポーターがいるので真似して応援できるし、座って見る指定席ではなく、声を出して飛び跳ねてもいい場所でした。避難所では、大きな声で騒ぐことは難しいです。子どもたちを水族館とか美術館じゃなくて、スタジアムに連れていく一番の要素はそこなんです。サッカーには「飛び跳ねて良し、歌って良し、騒いで良し」がありますから、手拍子や歌などで生まれる一体感は他の場所ではなかなか味わえないですよね。 黙祷では泣いているお母さん方がいました。子どもたちはそういうのも、ちゃんと見てくれていると思います。 ――ただ、試合はカターレ富山に1-4で負けてしまいましたね。 角田:そうなんですよ(苦笑)。でも、PKで1点入れた時はすごく盛り上がりましたし、喜びが爆発した瞬間に立ち会えました。1-4で負けていて、僕はあきらめモードなのに、ずっと子どもたちは立って声出して応援しているんですよ。涙が出ました。試合には負けても、10年後、20年後、30年後も、こけら落としの試合に行ったっていうのはこどもたちの記憶の片隅に残ると思うんです。ワールドカップもそうですけど、そういう一生の思い出に残る試合に招待できたことは良かったなと思います。サッカーファミリーの皆さんのおかげです。
試合後はスーパー銭湯とファーストフードを堪能。帰りのバスも大はしゃぎ
――全力で応援して汗をかいた後のスーパー銭湯は、最高だったのでは? 角田:そうですね。断水が続いている中、自衛隊が準備してくれたブルーシートのお風呂に入れるだけでもありがたい状況なのですが、この日はお湯の種類がいくつもあるスーパー銭湯でバブルバスやサウナも堪能できて、「気持ちよかった!」「楽しかった!」「3日ぶりのお風呂です」と、口々に感想をくれました。 ――みんなで試合の話をしたりしながら入るのも楽しいですよね。 角田:そうなんですよ。そのあとはファーストフード店に行きました。マクドナルド組とケンタッキーフライドチキン組に分かれて、“食べ放題”でお腹を満たしてもらいました。これは宮城県の牡鹿半島や福島支援の経験も生きているんですが、普段なかなか食べられないものを「好きなだけ食べていい」っていうのがすごく良いみたいで。奥能登にファーストフードは一軒もないので、小学生が一人でポテトLを2つとナゲット20ピースを食べた子もいました。 ――帰りのバスは、みんな疲れて爆睡だったんじゃないですか? 角田:それが、カラオケが始まったりして、みんなずっとはしゃいでいました。子どもたちはサッカーチームで今年1月の発災以降、練習はできていなくて、今年の3月にチームを卒団する子もいて。二次避難した人もいるので、みんなバラバラだったんです。だから、バスの中で「楽しかったこと自慢大会」をして、ある子が「みんなに会えたことが楽しかった」って言った時には、僕もホロリとしてしまいましたね。朝6時から夜11時まで働いてくれたバスの運転手さん二人からも、「楽しかったです」「最高でした」と言っていただけたのはビックリでした ――子どもたちにとって、大人になっても忘れられない記憶になりそうですね。ツンさんは支援活動について、常日頃からSNSや講演で発信されることも大切にしてこられましたが、今回の経験をどのように伝えていきたいですか? 角田:すでに、この活動を知った何人かのプロサッカー選手から、「僕に何かできることありますか?」と連絡をいただきました。善い行いも、伝えなければ自己満足の域を出なし、伝播しないと思います。子どもたちの姿をメディアや新聞が取り上げてくださることで、活動を通して被災地に光が当たることが大切だと思っています。支援の最大の敵は「無関心」と伝えています。地道な炊き出しや肉体ボランティアの中で、たまに大きなアドバルーンを上げることが「伝える支援」「知る支援」につながります。でも誤解しないで下さい。世界に目を向けるともっと大変なこともたくさんあります。それらすべてに関心を寄せたら身が持たないと思います。ただ、関心の糸を切らさないでほしいです。僕らも糸をつないで次は輪島市や七尾市、穴水町など、他の地域の子どもたちも招待できるように、ネットワークを張りたいと思っています。 <了>