本当の「プレミアム・ビジネス」をしている自動車メーカーはどこだ?
本当の「プレミアム」とはどういうものか
例えばここにコンサートのチケットがあるとする。ご存知の通り一般的にはS席、A席、B席の3グレードが存在する。仮にS席1万円、A席5000円、B席2500円とすれば、定量的に1グレード毎に倍の価値があり、例えばB席のチケット4枚とS席のチケットは等価交換できるものになってしまう。こういう状況である限りS席は本当の意味ではプレミアムではない。 ところが、S席だけが即日ソールドアウト。もう正規で定価では買えないという状況になると話が変わる。プレミアムがついたS席チケットはA席10枚とだって交換してもらえない。非合法なダブ屋が出没して相対交渉で足元を見ながらふっかける。こうなってこそプレミムだ。つまり定価を見ての損得売買ではなく、あくまでも主観的な価値で価格が取り決められる状態、プライスレスな状況に至ってこそプレミアムなのだ。 もしこのコンサートのプロモーターがプレミアム・ビジネスを始めようと思ったら例えばこんな方法がある。まずは登録制の年間会員システムを作り、年会費を徴収する。その上で、過去の来場実績に応じて会員のグレードをいくつかに分け、S席の席指定優先権を与える。 言うまでもなく、誰も欲しがらない商材でプレミアムビジネスは構築できない。プレミアム・ビジネスとは強い需要がある中で、どうやってそれを長期安定利益ビジネスに転換するかの方策であって、具体的にはそのためにロイヤリティの高い顧客に優先的にインセンティブをつける手法だということだ。 つまりプレミアムとは商品を高く売ることではなく「買えることそのものに価値を付加する」ことだ。それは「あなたは特別なお客さんですよ」と売る側が扱い、買う側も「特別なお客として相応しい客であり続ける」相互の関係性だ。クルマの世界でもそうした本当のプレミアム・ビジネスを展開しているブランドがある。フェラーリがそうだ。
メーカーと顧客の相互に特別な関係性
フェラーリには特別な顧客にしか販売しない限定モデルが存在する。これまでにF40、F50、エンツォ、ラ・フェラーリの4台がリリースされている。これらの限定モデルは、顧客がぶらりとショールームに行って買うことはできない。 限定車の情報はジャーナリストも知らないうちに、特別な顧客に案内状で告知される。そして実車を見ることはもちろん、クルマについての詳細も分からないうちに販売は終了し、メディアで情報を見た購入希望者が連絡するころには、すでに全数が販売終了になっている。 フェラーリはこのビジネスのやり方に、F40を販売しているうちに気づいた。だからプレミアム・ビジネスができたのはF50からだ。F50が出た時、フェラーリは「F40を新車で購入し、現在も維持している人」にしか売らないと言い出した。筆者は当時F50を購入した本人から聞いた。 もちろん特別な上顧客相手のビジネスだから、そこはそれなりの弾力性を持って運用されたはずだ。だからこの購入権利のガイドラインは多分個々に少しずつ違うだろう。だからネットで検索すると「フェラーリを6台持っていることが条件」とか様々な話が出てくるが、そもそもどうしたら案内状がもらえるかが気になるのは、上顧客ではない人だけだ。案内状を出す側からすれば、条件はむしろ伏せてあった方が望ましい。基準を公開する必要がないのだ。 こういう仕組みにすると「今回は見送るかな」が通用しない。顧客は「今回買わないと次のモデルは案内が来ない」と考える。うっかり条件を公開すれば、それで顧客が安心してしまう。 こう書くと、まるで足元を見たビジネスの様に思われるかもしれないがそうではない。プレミアム・ビジネスなどと言うと、まるで新しいビジネスメソッドの様に聞こえるが、大昔からある、売る側と買う側の良い関係に過ぎない。デパートの外商部がやっていたのもこういうビジネスだ。 クルマを売る側にもいろいろ事情はある。人気沸騰で、買えば必ず値上がりするような限定モデルだけを買いたがったりする客は、決してありがたい客ではない。そういう客は損得でクルマを欲しがる客で、彼らが欲しがる様なものは放っておいても売れる。売る側が本当に困った時にお願いに行かれる顧客こそが上顧客なのだ。 例えば急なキャンセルが出て困り切った時、それを買ってくれる客、あるいは不人気で売れないクルマを買ってくれる客、特別な顧客とはそういう人のことだ。もちろん売る側はお願いする立場だからよくわきまえている。お願いベースで買ってもらう以上、価格でも何でも特別な条件を出す。これからの長い付き合いを大事にして恩義をきちんと形で示す。その結果、買う側もお付き合いながら決して損な買い物にはならない。プレミアムとはそういう相互に特別な関係を築いた関係性の中に成立している。 表面的な現象だけ追えば、歴代モデルを持っているとか、何台持っているという皮相的な話になるのかもしれないが、それはどちらかと言えば結果論に過ぎないのだ。