「トサ、俺の親父と一緒の歳だな」ラグビー土佐誠が英国で楽しむ“38歳の新入部員”生活「頭の病気、大麻事件、いろんなことがあったけど…」
37歳でこの世を去った名ロックの想い
今回の留学にあたって、土佐はケンブリッジのラグビー部から「ダン・ヴィッカーマン・スカラシップ」という奨学金を受けている。 ヴィッガーマン氏は、オーストラリア代表として63キャップを持ち、2度ワールドカップに出場した名ロック。土佐がオックスフォード生だった時には、ケンブリッジのキャプテンとして対戦していた。そんなヴィッカーマン氏は、37歳の若さでこの世を去った。家族やラグビー部が中心となって設立された奨学金である。 「昔の対戦相手の名前を冠した奨学金をもらって、違う方でプレーする。なかなかない経験というか、不思議な縁というか。名選手でしたし、彼の名に恥じないように、いい影響をラグビー部に与えられるように頑張っています」 ケンブリッジに渡る前、まだ現役のプロ選手だった頃には、中学からの故郷である島根県に帰った。土佐は中高の英語教員免許を取得しており、母校の中学での教育実習が目的だった。全校生徒100人の小さな学校。自分がラグビーを始めようと決断した時と同じ年齢の子供たちが、昔の自分と重なって懐かしくなった。 時には山の頂点。時には深い谷底。それがどんなに深くとも、挫けず、懸命に進み続けてきた。そして今は、大海の向こう側と往復する日々。ラグビーを通して、いくつもの景色を見てきた人生。 土佐に聞いた。あえて、人生の転換点を一つ挙げるなら。 「やっぱり、中学生の時に野球で怪我して、通院先でラグビーを勧められたことですかね。人生のいろんな生き方を与えてくれた人間に会って、そこからすべてが始まりました。頭の病気とか、大麻事件、いろんなことがありました。それすら、あの通院がなかったら出会わなかったし、人間として成長できなかった。 あの時の野球ってただの部活でしたけど、頑張って練習して、治そうとして。そこから今までも、目の前のこと、やるべきことを一生懸命やってきて、ここまで来れたのかなと思ってます。常に挑戦しよう! みたいな考えはないんですけど、人によってはそれが挑戦に映るかもしれない。一生懸命やっていれば、最終的に、自分にも周りの人たちにも良い影響を与えられるんじゃないかなと信じてます」
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