大場久美子、女優再始動へ 1億人の妹はいま
2年の約束だったアイドル やっぱり庶民派かなって
ブロマイド売上が2年連続1位になるなど絶大な人気を決定づけたアイドル活動だったが、最初から2年間だけの約束だったという。 「『コメットさん』というドラマにめぐりあって、多くの方に名前をおぼえていただけるようになって。当時は『一流の生活をして一流のものを身に着けて、それでちゃんとした芸能人になれるんだよ』って言われて、ひと通りやってみたのですが、でもやっぱり私は庶民派かなって。カレーでいうと生クリームたっぷりのカレーより、普通のルーに野菜がごろごろ入っているような」 約束の期間が過ぎると、本来の女優に戻った。 「13歳のとき子役としてドラマに出て、ああ私は芝居やりたい、舞台女優になりたいと思って芸能界に入ったんです。女優に戻って出演したドラマ『なぜか初恋・南風』で共演した森光子さんが、舞台『放浪記』に私を起用してくださって、10年以上ご一緒させていただいたことで、やっと自分のやりたいところへ戻れたという感じがしました」
人助けのお手本示してくれた両親
そんな大場にとって大きな転機となったのが、東日本大震災だったという。 「あの日を境に、私はどうしたらいいのかって考えたときに、やっぱりお世話になった人に恩返しをしてから人生終わりたいなっていう思いから、ボランティアをしたいという気持ちが強くなりました」 そのためにもと、取得した資格は17にのぼるとか。すべては人の役に立ちたいという気持ちに通じるが、幼少の頃からその芽はあったようだ。 「両親が、困っている人がいれば困っていない人が助ければいいんだよと、お手本を示してくれていたんです。だから被災地に入らせていただいたときも特別なこととは思っていなくて。私は登校拒否などで学校教育をあまり受けていないぶん、親がすごく感性を育ててくれたんです。1+1が2ということよりも、赤と白を混ぜたらピンクだよ、みたいなことですね。ある冬の日のことですけど、うちは貧しかったのでアイロンがなくて、ハンカチがくしゃくしゃで困っていると、母親が『ガラスに張ってごらん。ストーブの暖かさで乾くからアイロンいらないでしょ』とか。そういう生きる知恵をたくさん教わったんです」 心理カウンセラーになってから、職業の適性テストを受けてみたのだと笑う。 「福祉関係は合うけれど芸能界はまったく合わないって出たんです。でもそれでへこんだわけじゃなく、親譲りの根性というか『なんだ、合わないところにこんな長くいられたんだから私ってすごいじゃん』と思えたんです。どん底からポーンとジャンピングしちゃうくせがあって。素直じゃないところもあって、いじめられると絶対がんばっていじめられない人になるんだって。そこから役者生活も始まったので」