昭和6年生まれの私 女優 香川京子さん 「池袋の家も焼ける」疎開先で見た赤い空 プレイバック「昭和100年」
映画の世界に入るきっかけは女学校卒業を控えた24年に新聞で見かけた「ニューフェイス」の募集広告です。卒業後は銀座の時計店へ就職しようと考えていましたが、最終的に女優の道を選びました。
「五社協定」という大手映画会社による専属協定が始まる前にフリーになったこともあり、成瀬巳喜男、小津安二郎、溝口健二、黒澤明といった巨匠監督方とお仕事をする機会に恵まれました。
女優として転機になったのは溝口監督の「近松物語」(29年)の「おさん」役です。娘役ばかりだった私にとって、人妻や京都弁の役柄は初めてで…。
監督さんは多くを語らず「(相手の芝居に)反射してください」とおっしゃるだけですが、私にはどう演じればよいのか分からず、途方に暮れました。あるシーンで何度もOKが出ず、疲れて転んでしまったのです。同時に感情があふれ出て、それをそのままぶつけたらOKでした。あの経験は後の黒澤組でも生かされたと思います。
これまで出演した映画は130本ほどになります。今の映画はテレビの影響か、少し騒がしく感じることもありますが、昭和の映画は静かに没頭して見られるのが良いところです。日本映画の全盛期を支えた方たちと出会えたことが私の人生90年の何よりの宝になりました。(聞き手 石井昌)