2024年『紅白』に感じた熱気、そして静謐さ B'z、星野源らのパフォーマンスが示したもの
いまの時代に刺さるものがあった星野源「ばらばら」
星野源が歌った「ばらばら」には、そんないまの時代に刺さるものがあった。 〈世界は ひとつじゃない〉〈ぼくらは ひとつになれない〉〈そのまま どこかにいこう〉というフレーズが繰り返し出てくる歌詞は、単純に一体感を確認するようなものではない。むしろ逆である。 だが、私たちはわかり合えないわけではない。〈あの世界とこの世界〉が〈重なりあったところに〉〈たったひとつのものが あるんだ〉。星野はこうしたメッセージを、NHKホールとは別のスタジオからアコースティックギターの弾き語りでただただ静かに歌った。歌詞の〈わたしは偽物〉を「わたしも本物」に変えて歌ったことにはさまざまな解釈があるだろう。だがいずれにせよその姿からは、得も言われぬ迫力が感じられた。 多様性を尊重することはむろん必要なことだが、「多様性」というワードだけが一人歩きして、多様であるとはどういうことか、改めて冷静かつ真剣に考えることが意外に少なくなってきているのではないか。「ばらばら」を聞きながら、そんな思いにもなった。 『紅白』で言えば、男女対抗という形式もそうだろう。もはや司会に紅組と白組の区別もなく、歌う順番も紅白交互ではない。審査員だった内村光良がずっとどちらが優勢かといったコメントをしていたが、それもどこか昔懐かしい審査員の姿を演じているようでもあった。要するに、なし崩し的に男女対抗であることは曖昧にされている。 そこにはいうまでもなく、性の多様性を多くの人が意識するようになった時代背景がある。元々『紅白』が男女対抗形式になったのは、戦後の最も新しい価値観である男女平等を表現しようとしたからだった。だとすれば、時代が変われば男女対抗という形式も変わるのが必然ではある。番組の長い歴史もありそれを変えることは容易ではないだろうが、そのタイミングは近づいているようにも見える。実際、今回の『紅白』は、出場歌手のパフォーマンスの熱量によって男女対抗であることなど気にせずに楽しむことができたのだから。
太田省一