『アンパンマン』の生みの親・やなせたかしさんが故郷の高知県南国市で「言えなかったごめんなさい」を募集した理由
「まちづくり委員会」を結成
「県外から来てもらっても、泊まるところが足らないのだから、もうどうしてもやらないといけないという危機感で取り組みました。ただ、せっかく皆で一緒に頑張ったので、これで終わりにするのはもったいないという声が出ていました。そんな時に、やなせ先生の提案が舞い込んだのです」 徳久さんは後免町の住民に地元の公民館へ集まってもらい、「皆でやりませんか」と呼び掛けた。
「『やなせ先生が提案してくれるのなら、ぜひやろう』と皆が言いました」 さっそく実施団体の住民組織「まちづくり委員会」を結成し、徳久さんは副会長に就任した。 「商売をしている人が中心になりました。私はクリーニング屋。会長になった西村太利さんは家具屋さん。民泊をした時のリーダーです。野球が大好きで、非常に真面目。体育協会の仕事をはじめとして、後免町のことならば、様々な世話を焼いてくれる人です」
毎日郵便受けを確認に行ったが…
ただ、事業名は企画書にあった「ごめんなさいハガキ」ではなく、「ハガキでごめんなさい」に変えた。「おそらく市役所が付けた名称だと思うのですが、語呂が悪いですし、なんか違うなぁという違和感がありました。私が勝手に変えてしまいました」。徳久さんは笑う。 若い頃に国語の教員として教鞭をとった徳久さんは、妻の実家のクリーニング業を継ぐために退職したが、近年はまた高校の国語科講師として教えている。「言葉」には鋭敏な感覚を持っていた。 徳久さんと西村さんは、すぐにポスターを作成して、報道機関に「コンクールをやります」と発表した。 年内に募集を開始。事務局は西村さんが館長をしている地元の公民館に置いた。職員がいるわけではない。西村さんが毎日郵便受けを確認に行った。 しかし、ほとんど応募がなかった。 「もうすぐ締め切りになるというのに、50通ほどしか届きませんでした。西村さんと2人で『どうしよう、どうしよう』と言うだけで、なすすべもありません。これはもう、東京のやなせスタジオへ行って、先生に土下座しないといけないと思っていました」