童話「桃太郎」はハッピーエンドか?一瞬で「悲劇の物語」に変える衝撃のコピーが目からウロコだった!
例えば息子のナラティブとしては、「突然、お父さんに、持ち上げられた。花火がよく見えたのは嬉しかったけど、友達に見られるかもと思ったら、恥ずかしくなった」と語るかもしれません。 また、その親子の真後ろを歩いていた若いカップルのナラティブとしては、「彼女とのデート。彼女の浴衣姿がきれいだ。それにしても、せっかくいいムードだったのに、いきなり目の前のオッサンが息子を肩車しだしたから、ぜんぜん花火が見えない。めちゃくちゃ邪魔だ。もし結婚して子どもができても、周りに迷惑をかけていることに気づかないオヤジにはなりたくないな」なんて物語が紡がれるかもしれません。 ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。 (2013年度新聞広告クリエーティブコンテスト テーマ:しあわせ/山﨑博司) これは、2013年の新聞広告クリエーティブコンテスト最優秀賞となったコピーです。まさに桃太郎のめでたしめでたしでさえ、立場を変えてみると悲劇でしかないのです。 このように「ナラティブを紡ぐ」と捉えると、「自分はつまらない平凡な日常しか送っていない」なんて卑屈にならなくても、ちょっとした物事から無限の物語が生まれる可能性があることに気づくでしょう。だから難しく考えずに、自分の物語を紡いでほしいのです。
● 過去に書いた文字は 自分へのタイムマシン 自分らしい言葉を紡ぐ、最初の一歩、それはいきなり書くことではありません。まずは、自分がこれまで紡いできた過去の文章を読むことから始めてみることです。 それは、別に名文である必要はありません。例えば、小学生や中学生の頃の、卒業文集。またアルバムの寄せ書きに書いた言葉、書かれた言葉。昔書いた読書感想文。友達や家族とのやり取りの証。または日記帳。手帳に残したメモでもいいのです。 すでに書かれたものたちは、自分の記憶でもあります。すると、何かしら感じるものがあることに気づきます。それは、それを見た瞬間に、書いた文字が、自分へのタイムマシンになるということです。 小学生の頃、「宿題やんなきゃ」という気分で書いていた読書感想文でさえ、大人になって読み返せば、「ああ、あの頃、こんな本読んでいたのだな」と感じられる宝物だったりするのです。