「泣きそうですもん…こんだけ時間が経っても」24年前の箱根駅伝“10区逆転”を許した駒大ランナーの胸の内…紫紺対決“伝説の逆転劇”を振り返る
冷静だった順大アンカー・宮崎の「思惑」
だが、謙介を追いかける正仁がそうであったように、桂逸に対し追う立場にあった宮崎は心憎いまでに冷静だった。 「調子はよかったので、自分のペースで走ろう、と。追いついても最後に離されたら意味がないですし。1秒差でも優勝は優勝ですからね。それを頭に入れつつ、勝負できる展開に持って行かなければと考えていました」 しかし、桂逸のペースは余りにも遅過ぎた。大八木は走り始めてすぐ、逆転を覚悟した。 「指導者はだいたいわかっちゃう。これは抜かれるな、って」 案の定3km過ぎに2人の差はなくなり、6km手前で桂逸が遅れ始めたのを見て宮崎がペースを上げると差はあっという間に広がった。 宮崎はここで勝利を半ば確信した。 「彼も絶好調ではなかったんでしょうね。駒澤は練習量が豊富なチームですから。あれぐらいのペースアップで離れてしまうというのはちょっと考えられない」 そこからの桂逸は「苦しかったことしか覚えていない」と声を震わせる。 「呼吸も最初から最後まで安定しないまま。足が完全に止まってましたから……」 桂逸が苦痛に顔を歪めながらゴールしたのは、宮崎がトップでテープを切ってから2分55秒後のことだった。 見ている者の心を奪った9区と10区のデッドヒート。だが、大会9日前の24日午後、レースの勝敗は決まっていたのかもしれない。 謙介同様、現役を退いても当時と体重はほとんど変わらないという宮崎は、テレビ画面に映る澤木を見ながら「映像を通して見ても怖い」と笑った。 「12月に入るとグラウンドの空気が一変するんです。ピリッピリしてくる。そんな中でやってたから強かったんだと思いますけど」 実は、こんなことがあった。本番では4区を走り区間賞を獲得した野口英盛だったが、直前までは入退院を繰り返すなど慢性疲労から完調とはほど遠い状態だった。だが、12月中旬、澤木はそんな野口をこう叱咤した。 「いつまで下を向いてるんだ! 俺が走れるようにしてやる!」 そして、そこから約10日間、温水プールを使ったメニューなど、野口のためにそれこそ分刻みの練習メニューを組んだ。 迎えた24日の午後を、澤木が思い出す。 「24日の午前中までは、もうダメかなって諦めてましたよ。そうしたら午後3時くらいかな。野口を走らせてみたら、これならいけるかなという走りをようやく見せた。あの年は野口が使えなかったら大敗してましたよ」
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