地方から発信するプロ野球の新たな価値。くふうハヤテが目指す「究極の育成型チーム」とは
日本のプロ野球の歴史は1934年、大日本東京野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)が誕生して始まった。1936年には東京巨人、大阪タイガース、名古屋、東京セネタース、阪急、大東京、名古屋金鯱の7球団で日本職業野球連盟が創立され、プロ野球のリーグ戦がスタートした。 プロ野球チーム誕生から90年の今年、くふうハヤテとオイシックス新潟アルビレックスBCの参加で2軍は14球団になり、転換期を迎えた。10年後、100周年を迎える2034年には、くふうハヤテのようなファームに特化して地方都市に根を張った育成スタイルも、日本プロ野球のスタンダードになっているかもしれない。NPBに新たな価値を定着させることができれば、それは球団にとって最高の勝利に違いない。 最後に、池田に日々大切にしていること、そしてこれからの夢を聞いた。 「感謝の気持ち。これは絶対忘れないようにしたい。球団のコンセプトとしても、選手には『まわりに対する感謝の気持ちを忘れないように』と話しています。この場がなければ、野球選手をもう辞めなければならなかった選手も大勢いるわけですから。 夢は、独立リーグとNPBの両方で立ち上げや参入の経験をさせていただいているので、そうした経験を若い世代に伝えていけたらと思います。今も高校の授業など、オファーがあれば全部断らずに応じています。すでにある高校とは、ビジネス探究型インターンシップも実施しています」 * * * インタビューを終え、筆者はハヤテ本社のある兜町から東京駅に移動。くふうハヤテのホームタウン、清水に向かった。夕方5時、清水駅前で迎えてくれたのは昨年2月に高知で取材した、〝大谷世代〟のある投手だった。 2020年、21年、四国アイランドリーグで2年連続最多セーブ王を獲得した彼は、22年には最多勝と最優秀防御率の二冠を獲得しリーグMVPにも選ばれた。しかしNPBからはドラフト指名されず、昨シーズンはメキシコのプロリーグでも活動し、今季、くふうハヤテに入団した。 「お久しぶりです!」 身長187cm、体重100kgという外国人選手のような大柄な体躯。それとは正反対の人懐っこい笑顔。 名前は、平間凜太郎(ひらま・りんたろう)。30歳になったいまもなお、NPBドラフト指名を目指して戦い続ける男だ。 (つづく) ●池田省吾(いけだ・しょうご) 1974年生まれ、宮崎市出身。桃山学院大学社会学部卒業後、スポーツ新聞の契約記者などを経て渡米し、ワシントン大大学院でスポーツマネジメントを学ぶ。帰国後、四国アイランドリーグの運営、ゴルフ業界のマーケティング業務などを経て、2022年末から新球団・くふうハヤテベンチャーズ静岡の発足・運営に携わる 取材・文・撮影/会津泰成