「世界のホンダ」の基礎を作った初代「アコード」は、間違いなく日本が産んだ名車の1台だ
自動車ジャーナリストのレジェンド岡崎宏司氏が綴る、人気エッセイ。日本のモータリゼーションの黎明期から、現在まで縦横無尽に語り尽くします。 岡崎宏司の「クルマ備忘録」 この3月にフルモデルチェンジして11代目となったホンダ「アコード」。初代が生まれたのは1976年でした。一見して、ごく普通の小型乗用車だったものの、筆者はその3ドア HBに惹きつけられ、触れれば触れるほど、懐の深い魅力の虜になっていったのでした。
初代ホンダ アコードに痺れた!
痺れたとはいっても、初代アコードが、ドキドキワクワクするようなデザインやパフォーマンスの持ち主だったわけではない。一見して、ごく普通の小型乗用車だった。 でも、1976年生まれの大衆向け小型3ドア HBに、僕は惹きつけられた。触れれば触れるほど、懐の深い魅力の虜になっていった。 3ドア HBと4ドア セダンがあったが、僕が惹かれたのは前者。 4105×1620×1340mmのサイズをもつ2ドア HBボディは、素直で伸びやかだし、全体のバランスがよくスタイリッシュ。加えてそこはかとない品位も感じられた。
そうしたルックスは、例えば、上級のプレミアムカーの隣に駐まっていても、控えめながら明快な存在感を示した。 もし、塗装を筆頭に、もう少し上質な外装の仕上げと、デザイン性の優れたホイール等を与えられていたら、きっと少なからぬ人たちから憧れの視線を集めたに違いない。 ホンダ4輪車参戦への導火線になったN360とシビックを基本に、「ベーシックな価値」をより幅広く深く追い求めた答えとして、アコードは十分に目標を達成していた。 クーペスタイルの3ドア HBというと、キャビンの狭さをイメージする人もいるかもしれないが、そこもしっかりクリアしていた。 4人の大人が無理なく過ごせるスペースを確保していたし、低いベルトライン、細いピラー、広いガラス面積がもたらす感覚的な広々感にも高得点がつけられた。
インテリアのデザイン / 仕上げも上々。多くの人たちを頷かせ、満足感を抱かせたに違いない。 ダッシュボード周り、メーターパネル、ステアリングホイール等々にしても、クリーンな印象に仕上がっていた。 といったことで、初代アコード3ドア HBは、新しい時代に添った魅力的なルックスと快適性、そしてインテリジェンスなディテールが見事に調和し、達成されていたのだ。 その結果、日本でもアメリカでも多くから拍手で迎えられ、ホンダの4輪車事業を確固たるものにする大きな礎になった。 アコード 3ドア HBはFFで、1.6ℓ4気筒のCVCCエンジンを積む。一切の後処理装置が不要という、当時では、世界を驚かせた画期的なクリーンエンジンだった。 最初にCVCCエンジンが積まれたのは1973年12月で、クルマはシビック。