【デビュー50周年・関根勤インタビュー】伸び悩んでいた時に萩本欽一に言われた言葉、親友であり相方であり弟であり戦友の「小堺くん」、娘・麻里を育てる時に心がけたこと
関根勤(71)がクセの強い芸風で登場してから50年。口を大きく開けて心底楽しそうに笑う顔が印象的な“大御所”を突き動かす好奇心の源泉を聞いた──。 【写真7枚】デビュー当初の「ラビット関根」時代の1枚。芸人人生が好転していくきっかけになった『欽どこ』の「クロ子」なども
「100万円のうち5万円だけ見せる」芸
「1970年代にSNSがあったら、『関根はキモい』と炎上してレギュラーを外されていただろうね(苦笑)」 バラエティ番組などでの明るく温和な印象そのままに、関根は笑う。 「今年でデビュー50周年。芸人50年生ということですよね。これまであっという間でした」(関根・以下同) 人を笑わせるのが大好きで、モノマネやコントを始めたのは中学生の頃に遡る。1974年、TBS『ぎんざNOW!』の「しろうとコメディアン道場」で初代チャンピオンに輝くと、流れのままに21歳で芸能界デビューした。『カックラキン大放送!!』(日本テレビ系)で「カ~マ~キ~リ~」の奇声と共に手足を動かす「カマキリ拳法」を披露して話題となったがシュールな芸は時代にそぐわず、お茶の間の不評を買うことになる。当時を振り返ると冒頭のような言葉が漏れたのだった。 関根の芸が受け入れられ始めたのは、“大将”と仰いでいる『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)で共演した萩本欽一がきっかけだった。 「伸び悩んでいた29歳の時に『お前のしている芸は100万円を振りかざす芸だ。5万円だけ見せて残りはポケットに入れておけ』と言われてね。 まだ20代で肩に力が入り過ぎて、身振りが大げさだったんだけど、大将の助言でオーバーな動きを封印し、一歩引いて含みを持たせるスタイルにしたら、どんどんウケるようになりました」
小堺くんは戦友であり弟
もう一人の「道標」は、『欽どこ』で「クロ子とグレ子」としてコンビを組んだ小堺一機だ。 「後輩の小堺くんが昼の帯番組『いただきます』(フジテレビ系)のMCに抜擢されて、“え、俺もあそこに行けるのか”と思った。例えるなら、暗い道を恐る恐る走っていたら小堺くんの車がバーンと前に出て、あのテールランプについていけばいいんだと自信になった感じです。小堺くんは親友であり相方であり弟であり戦友です。彼がいなかったら、僕はどうなっていたか想像もつかない」 1985年、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のレギュラーになり、1989年、座長を務める劇団『カンコンキンシアター』を立ち上げた。以降はテレビやラジオなどのレギュラーが途切れたことがない。 どこでも必要とされる存在──「人生で大事なのは想像力と共感力」と話す関根の魅力は萩本やタモリ、明石家さんまはじめ大御所だけでなく、若手に目を向ける姿勢からも育まれたようだ。 「とにかくお笑い好きだから『面白い!』と思った後輩芸人には自分から挨拶に行くし、ライブにも顔を出したり。劇団で共演したキャイ~ンやイワイガワの井川修司とはご飯も行くね。 イワイガワの岩井ジョニ男とはしょっちゅうゴルフしてる。ずんの飯尾(和樹)くんもよく行ってたけど、今忙しくてここ3年ぐらい全然一緒に行けてないかな……。ずんのやす、神無月くん、原口あきまさくん、アンタッチャブルの柴田(英嗣)くんもゴルフ仲間」 「永遠の少年」を自称するほど純粋な関根だからこそ、周囲の人間が心から信頼を置くのだろう。 70歳を超えてもとどまることを知らない好奇心が育む「人間力」が多くの人を惹きつける。