「親離れができていない」「たくさん助けたけど一方通行」 石破首相の「決定的な欠陥」を恩人らが指摘
「あいつが俺の選挙区で応援したことは一度もない」
そんな石破氏に「オタク」の一面があることはよく知られている。 「彼は電車が好きだから鳥取から東京まで飛行機じゃなくわざわざ電車に乗って帰るんだ。俺も鳥取まで選挙の応援に行った帰りに一緒に夜行列車に乗りましたよ。ゴトゴト揺れるもんだから俺はあんまり眠れず、“あいつはよく寝られるな”と思ったよ」 そう振り返る笹川氏が不思議に思っていたことがある。それは、 「俺はあいつの選挙をかなり応援したんだけど、あいつが俺の選挙区で応援したことは一度もないんだ。それを指摘すると、“先生、来いって言わないじゃないですか”と言うんだ。つまり、“来い”って言わないと来ない。たくさん助けたけど一方通行。真面目というか何というか……」 90年2月、2回目の衆院選は鳥取県全県区でトップ当選を果たした石破氏。93年6月には宮澤喜一内閣不信任決議案に与党の一員でありながら賛成票を投じ、後に自民党を離党。小沢一郎氏や羽田孜氏が率いる新生党に合流した。
「親離れができていないということ」
新生党や新進党で共に活動した平野貞夫元参院議員が述懐する。 「彼は私より20歳くらい下でしたが、新生党時代は小沢・羽田ラインの政策理念などについて私を質問攻めにしてきましたよ。よく彼から新橋の小料理屋に呼び出されて、二人で飲み食いしながら、政治改革のこと、これからの日本のことをもう連日のように話しましたね。私は小沢さんのブレーンとして知られていましたから、何とか私から話を引っ張り出そうとしていました」 石破氏が平野氏に問うてきたのは政策の話ばかりではなかった。印象に残っているのは、父・二朗氏について語る姿だという。 「私も彼の親父さんのことを知っていますが、頭が良いだけではなく、人間が立派な人だった。彼は親父さんが素晴らしい人だってことを私に話し、彼自身の立ち位置をどうするかということで悩んでいた。その時に私が感じたのは、彼は父親へのコンプレックスを持っているな、ということ。つまり、親離れができていないということです」 それこそが石破氏の「欠陥」なのではないか――そう考えたという。