<掛布が語る>横浜DeNA・中村紀洋はFBなど使わず大人の対応を
横浜DeNAの中村紀洋選手の“造反騒動”を、報道を通じて知って寂しい気持ちがした。どれが真実なのか詳しい事情はわからないが、報道されているように選手が、中畑監督の立てたチーム方針を守れないのであれば、メンバーから外されても仕方がない。「腐ったりんごが、ひとつあれば、他まで腐ってしまう」という諺は、例えプロであっても、勝利を目指す集団にはあてはまるものだ。中畑監督をかばうわけではないが、チーム方針に納得できずに、コーチに相談という形を取ったのであれば、その行為を“造反”と判断し、2軍に落としたことは、勝利を目指す組織として間違いではなかっただろう。 ■勝利を目指すために機動力を重視 横浜DeNAは、不動の4番であるブランコが、故障で長期離脱することになって、急遽、中村選手を昇格させた。そして、ブランコ無き打線は、機動力というものを積極的に使い始めた。特に問題となった巨人戦では、クイックや牽制などが不得意なセドンが先発。攻略のために揺さぶりをかけるというチーム方針を横浜DeNAが立てたとしても、なんら不思議ではない。それが、チームが勝利に近づくための最短距離であると、チーム内にアナウンスされていたならば、中村選手は、そのチーム方針に沿って最善の努力を尽くすべきであっただろう。そして中村選手は、不満があったとしても大人の対応をすべきだった。 ■4番打者を迎え動くべきか? 確かに、4番がバッター時に動くべきか、動かざるべきかという議論はある。監督の考え、試合の状況、その4番の調子など、あらゆる要素が、そこには絡まってきて、一概にひとつの答えはないと思う。私も1984年に神宮でこんな経験をしたことがある。 1点のビハインドで迎えた9回二死一塁で4番の私に打席が回ってきた。一塁走者は、現在、スカウトの北村照文だ。快足の北村には、「行ければ行っていい」のいわゆる「グリーンライト」のサインが出ていたが、私は「4番バッターのケースで走ることはないだろう」と考えていた。しかし、北村は盗塁を仕掛けて失敗。私は、バットを振らないままゲームセット。腹立たしさの前に「え? 何が起きた?」と呆然とした気分になったことを覚えている。試合が終わってホテルに帰ると、当時の安藤統男監督が、話があるという。「私が『待て、走るな』のサインを北村に出しておくべきだった。私のミスだ」。安藤監督に、そう説明をしてもらって納得した。