かつて沖縄に存在した英語放送「KSBK」 復帰前の沖縄で米軍の検閲をかいくぐり情報を届けた気骨あふれる放送人たち
川平朝清さん(97) 「とにかく書いたニュースを検閲されるわけですから、一番良かったのは録音だったんですよ」 「(検閲官も)録音したものをいちいち聞くっていうことはなかったから、我々は書いて、独自の放送するよりは、インタビューで語る人に語ってもらった」 「これは例えば、(米軍による)土地の接収とか、そういうものがありますよね。そういうのになるときに、アメリカ軍のやり方はひどいとか何とか伝える時は、『私たちの土地はね、アメリカ軍に取られたもんだから、今住んでるところ大変なんですよ』そういうような表現で、(住民の)状況がわかるわけですよね」 開局翌年の1955年には沖縄で暮らすアメリカ人をターゲットにした英語放送がスタート。アメリカ本国から来た本場のDJやアナウンサーを雇用した英語放送はコールサインのKSBK、略して「BK」などと呼ばれ、人気を博しました。 川平朝清さん(97) 「私もKSBKで番組を持っていたんですよ。それが『OkinawaToday』ということで、沖縄で起こる色々なこととか、それから風俗、習慣。それから沖縄紹介、みたいなことをやってました」 アメリカ本国で流行っていた最新の楽曲をかけるKSBKは、アメリカ人はもちろん、多くの沖縄の若者も魅了しました。 今から10年前、かつてKSBKでアナウンサーをしていたダン・シュワルツさんがRBCを訪れました。ダンさんは、今ではRBCにも残っていない、KSBKが放送した貴重な音源を保管していました。 川平朝清さん(97) 「沖縄側の意見とか意思とかっていうのは、沖縄にいる米軍の家族とか、軍属とか軍人たちに伝える手はないけど、KSBKはその意味では、はっきり言えるような状態があって」 KSBKは音楽だけでなく、当時の沖縄の人々の様子を鋭くとらえ、電波に載せて発信しました。 川平朝清さん 「土地問題(土地の強制接収)とか何とかが起こったときに、これも『そこまでやらなければいけないのか』みたいなことをね、やっぱり言うわけですよ」 「そういう点ではアメリカの放送人っていうのも、放送の何たるかっていうのをよく知っていたというか、こうあるべきだっていう、何もね、かしこまっているわけじゃなくて、体験的に知ってたんでしょうね」