視聴率40%!お天気お姉さんの元祖・今井登茂子のその後「40代で突如、第一線を退いた」決断の裏側
■学生だった安藤優子さんを見て「ガラスの天井を突き破る子だ!」 ── 次の世代へとバトンを繋ごうと思われたのですね。 今井さん:自分が実現できないのなら、培ったものを誰かに託して、次につないでいくことが使命だろうと思ったんです。ですから、私のもとに通っていた子たちには、「私の持っているもの、全部持っていって!」といつも伝えていました。アナウンサーとして、立派に育っていった教え子たちはたくさんいましたが、なかでも出藍の誉が、安藤優子ですね。彼女は、日本を代表するような素晴らしいキャスターになりましたね。いまでも仲がいいですよ。
── 当時、安藤優子さんは、すでにアナウンサーとして活動されていたのですか? 今井さん:出会ったときはまだ学生でした。大手広告代理店が主催した夏休みのイベントに来た学生のひとりだったんです。代理店から「学生たちにアナウンスを教えてほしい」と依頼され、面倒をみることになりました。 じつはもともとアナウンサーとしてテレビに出ている私を見て、「自分もアナウンサーの仕事をやりたい」と触発されたらしんですね。ですから、すごくガッツがあったし、やる気に満ちていました。とくに目を引いたのは、見事な語学力です。流暢な英語を話し、度胸もすごくあった。彼女なら今後、世界を股にかけてグローバルに活躍できるんじゃないかと期待しました。ですから、私も覚悟をもって向き合いましたし、彼女もそれに食らいついてきてくれました。私としては、そこまで厳しく教えたつもりはありませんでしたが、彼女いわく「うちに帰って泣いていた」と(笑)。
── 大物キャスターの安藤さんにもそんな時代が…。 今井さん:彼女にはよくこう話していました。「能力や環境など、仕切りを作っちゃうのは自分自身ですよ。躊躇しないですべて挑戦してみたら?」と。ガラスの天井を突き破ってほしかったし、きっとできるだろうと思っていたんです。1986年に、彼女がギャラクシー賞個人奨励賞をもらったときには、「心の底から一緒に喜んでくれたのは、ともこ先生でした」と言ってくれました。今でも「先生」と呼んで慕ってくれるのは、お互いに腹を割って本気で向き合っていたからじゃないかなと思います。