自由貿易を推進するアメリカでなぜTPP懐疑論が出るのか
統一的なルールをつくる試みだったはずが……
このような状態では、法務部などを備えた大規模企業ならまだしも、中小企業などが二国間FTAで定められた有利な関税率を利用するのが困難になります。TPPは、スパゲティ・ボウル現象を解消し、地域に統一的な関税体系とルールを設定する試みでもあったのです。 TPP交渉が始まると、オーストラリアやシンガポール、日本は「共通譲許」の実現に向けて尽力しました。 共通譲許方式とは、交渉によって定められた自由化方式に沿って各国が対象品目を定め、多国間協定を締結したどの国から輸入される場合でも、自国の譲許表に沿った同じ税率を適用しようとする方式のことです。 しかし、驚くべきことに、もともと共通譲許設定を提唱していたアメリカが、交渉の途中から、共通譲許を作るのではなく、二国間協定の積み重ねによるTPP実現を主張したのです。もちろん、ルールの共通化もある程度は実現しましたが、最終的にTPPは、従来の二国間協定によって作られたスパゲティ・ボウルに、不足していた二国間協定を足し合わせるものとなったことも否めません。つまり、スパゲティ・ボウル現象は解消されなかったのです。 つまり、オバマ政権は貿易協定締結という業績の達成を目指し、共通譲許設定という目的を早々に断念したのでした。オバマ政権はオバマ・ケアに関しても、もともと主張していたパブリック・オプションを早々に断念して民間医療保険をもとにした医療保険制度改革を行いました。崇高な目的を掲げるものの、実際には早々に立場を変更して、当初の目的とは大きく異なるものを作り上げるのがオバマ政権の特徴なのかもしれません。
実生活では自覚しにくい自由貿易の恩恵
ではなぜ、オバマ政権はTPPに関する方針を変えたのでしょうか。その背景には、アメリカ国内で自由貿易に対する懐疑が強いことがあります。例えば、2014年にピュー・リサーチ・センターが実施した世論調査では、貿易がアメリカにとって良いと回答したのは68%でしたが、TPPがよいとしたのは55%でした。また、貿易が雇用を創出すると回答した人の割合は先進国全体で44%でしたが、アメリカでは20%しかありませんでした。貿易が賃金を上昇させると回答した人も、先進国全体では28%でしたが、アメリカでは17%でした。 自由貿易を積極的に推進してきたアメリカで、他の国と比べて自由貿易に対する懐疑が強いのはおかしいと思う人もいるかもしれません。しかし、貿易の自由化が進展した国で、さらなる貿易自由化に対する批判が強まるのは、実は不思議ではありません。 18世紀末から19世紀初めにかけて活躍したイギリスの経済学者リカードの比較生産費説が示すように、自由貿易は理論的には国民全体の利益を増大させる政策です。しかし、自由貿易のもたらす恩恵は国民全体に広く分散していて、明確に自覚されることはありません。 例えば、野菜を外国から輸入した結果、野菜が以前より多少安く購入できるようになったとしても、得をしたと思い続けてくれる人は少ないでしょう。そのため、一般国民が自由貿易の実現に向けて積極的に働きかけようとする誘因は弱くなり、自由貿易推進を目指して活動するのは、自由貿易からの恩恵を直接的に受けやすい、比較優位を持つ産業の人々に限定されます。日米関係を例にとれば、アメリカの農業などの輸出競争力がある産業です。経済格差の拡大がしばしば指摘される今日、比較優位を持つ産業を利するとイメージされる政策にはなかなか支持が集まりません。 他方、自由貿易から不利益を被る可能性が高い、比較劣位にある産業に従事する人々 は、自由貿易に反対の立場をとります。日米関係で考えれば、アメリカの自動車産業はこの例に当たります。他方、米豪関係を例に考えれば、アメリカの農業はむしろこのような立場に立ちます(なので、アメリカの農家はTPPよりも日米の二国間FTAを好むのです)。これは一面では、比較劣位にある産業が既得権益の維持を主張していることを意味します。