イスラエルとの会談でスイカを出されたらどうする?
2024年2月28日、外務省は、イスラエルを訪問中の辻清人外務副大臣が、同国のイスラエル・カッツ外務大臣を表敬したと報道発表した。辻副大臣は、イスラエル側に対して、ガザ地区の人道支援活動が可能な環境の確保や、人質解放につながる人道的で持続可能な停戦の実現を求め、日本政府の従来の立場であるイスラエル・パレスチナ問題の二国家解決の必要性を強調した、という。 本会談の意義としては、まず日本政府の立場を明確に伝えたこと、そして、両国が引き続き緊密に意思疎通することに合意をした点にあるだろう。日本政府として、足元のガザ地区の危機的な状況を鑑み、イスラエル側に自制を求めた形だ。ただ、筆者はこの報道発表を読んだ時に会談の内容よりも、資料に挿入された写真に目が行った。そこには、机の上に並ぶスイカがあった。
パレスチナのシンボル「スイカ」をスライス
中東においても、スイカは夏の果物だ。中東を訪れたことがない人は、どの国にも砂漠が広がり、そして一年中暑いという印象があるかもしれない。実際に、国によっては冬でも気温が高い国もある。ただ、筆者がエルサレムに留学している間、冬にスイカがデザートに出るという経験はあまりなかった。イスラエルの2月はかなり寒く、東京の真冬なみに気温が下がることは珍しくない。大雪が降って大学の校舎が雪で覆われてしまい、授業終了後に同級生たちと雪合戦をしたこともあった。 真冬の2月にスイカが卓上に並ぶ。これには隠されたメッセージがあったと考えた方が自然だろう。すでにSNS上でも散々指摘されていることだが、実は、スイカはパレスチナの抵抗運動を示すシンボルになっている。その由来を辿れば、1967年の第三次中東戦争にまで遡る。この戦争に大勝したイスラエルは、ヨルダン川西岸とガザ地区を掌握し、東エルサレムを手中に収めた。 その際に、イスラエル政府は、パレスチナ国旗を公の場で掲示することを禁じた。国旗を使うことができなくなったパレスチナ人は、考えた結果、国旗の色である赤、黒、白、緑を含むスイカに目をつけ、これを彼らの非公式の国旗代わりにしたのであった。1993年に結ばれたオスロ合意によって、パレスチナ国旗の使用禁止は解除されたが、それ以降もスイカはイスラエルに対する抵抗を意味し続け、現在も西岸地区などでは切ったスイカをモチーフとしたTシャツが売られている。 そんなスイカの裏の意味を当然熟知しているイスラエルが、他国との会談の場でスイカをスライスし、外交当事者の口に運ばせようとした。そしてダメ押しは、背景スクリーンに映る「We Won’t Stop」(私たちはやめない)の文字である。実際に日本の代表団がスイカを食べたかどうかは知る由もないが、報道発表で書かれている文章以上に、たった一枚の写真がイスラエルの立場を強烈に表していた。