「教える」「教えられる」近代の方法は限界か? 教育の「当たり前」をひっくり返す人類学の考え方
近代社会で子どもが「主体的」になれない理由
――学校教育に関するものの見方を人類学の視点から“ひっくり返す”ヒントはありますか。 人類学の考え方を採用するならば、「植民地時代の宗主国や先進国は非西洋の国々や先住の人々にこれまで一方的に自らの考え方を押し付けてきたが、今は逆に先住民の思考や古いやり方に学校教育や学びに関するヒントがある」と考えたほうがいいのではないかということでしょうか。 インゴルドの『世代とは何か』では、近代社会は働き盛りの「現役世代」や「高齢者世代」「若い世代」と人々を世代で分け、上の世代が若い世代に教育を行うという構造を作り上げてきました。 しかし、その枠組みの中で学校教育が行われている限り、子どもの主体的な世界との関わりは実現できないだろうと彼は述べています。また、学校教育を通じて大人が子どもに知識を授けて理解度を深めさせるという考え方ではなく、教師と生徒が「協働する」ことの重要性を唱えています。 それはどういうことなのか、プナンを例に考えてみましょう。プナンの居住地には水道がありません。そのため一日一回老若男女、家族みんなで水浴びと洗濯を兼ねて近くの川に行きます。お母さんは洗濯をし、子どもはその横で洗濯を手伝ったり、水浴びをしたり、泳ぎの練習をしたり、泥遊びをします。おじいさんたちはそれを見守っているのです。 このように、プナンの人々は世代の区別なく結び合いながら、子どもたちも「どう泳ぐのか」「どうやると効率よく洗濯できるか」などを自然と学んでいくのです。 子どもを独立した“次なる世代”と捉え、それに対して大人が知識を伝授するという近代社会のやり方は限界を迎えている。だとすれば、それを突破するためには、単に子どもの主体性を取り戻そうとするだけでは効果はないのではと思います。
資本主義の「目的論思考」を解きほぐそう
――ただ、貨幣経済の中で生きるには、就職や学歴、それに伴う受験などを通らざるを得ないという側面があります。こうした世界で生きる中で、硬直した考えや価値観をどうすれば解きほぐすことができると思いますか。 私たちは「目的論思考」に縛られすぎているのかもしれませんね。資本主義社会を生きるうえでは仕方がない面もありますが、「お金を稼がなければ」「少しでも偏差値の高い学校に行っていい会社に就職しなければ」といった“目的”がわれわれの思考の根本にある。そのことに気づいて、それでいいのかを考えてみることが大事なのではないでしょうか。 インゴルドは、移動には「輸送」と「徒歩旅行」という2種類のやり方があると述べています。輸送は、モノや人をAからBへ効率よく運ぶというもの。目的論的な移動方法ですね。一方、徒歩旅行はそぞろ歩きやぶらぶら歩きです。 狩猟では「どこそこに行けば獲物が取れる」といった目的論思考はあまり役に立ちません。それよりも、ぶらぶら歩いて足跡を見つけたら、そこで集中的に探してみるというやり方をします。 私たちは今、地球規模の気候変動の影響を受けた環境的な危機だけでなく、貧富の差や戦争といった社会的な危機をも含む複合的な危機に直面しています。気候変動を食い止めるべく二酸化炭素の排出量目標値を決めて努力を続けたとしても、さまざまな要因が刻一刻と変化する中、それが将来的にどうなるかはわかりません。 われわれの世界、現代社会は「不確実性」に支配されていますから、ターゲットを決めて一直線に向かっていっても、すんなりと解決するとは限りません。今こそ「ぶらぶら歩き」が必要なのではないでしょうか。 学校教育や教育はどうしても、「いい学校に行く」「いい会社に就職する」という目的を持って立派な人生を送らなければという目的論になります。けれど、いろいろ試してみて、失敗しても立ち上がる経験もしなければいけません。 また、1つの世界にどっぷり浸かって問題を解決しようとしてもなかなかうまくいかないもの。ターゲットを決めて目的論で突き進むだけではなく、ぶらぶら歩きで出会った「いいな」と思うものに向き合い、自分なりのやり方を探っていくこと。それが、硬直した価値観や世界を“解きほぐす”ことにつながるのではないかと思います。 人類学の視点で“解きほぐ”してみても、現実が大きくガラッと変わることはないでしょう。それでも大切なのは、教育に携わる人が、想像力を持って自分たちの目の前にある現実を見つめつつ、それとは違う現実、多元的世界(プルリバース)があることに気づくこと、その世界に触れること。 それによって変容していく自分自身を生徒や周りの人々に見せることこそが、教育なのではと私は思っています。決まったことを教えるだけでは、世界は動いていきません。動いている世界でどうするか、想像力と創造性を持って考えることが大事。これが、人類学がお届けできるメッセージです。 (文:吉田渓、注記のない写真:FatCamera / Getty Images)
東洋経済education × ICT編集部