「明日のことまで思い悩むな」シスターと神父が心に置く“聖書の言葉”
世界各地で次々と起こる戦争、突如訪れる自然災害など、私たちは絶えずさまざまな不安にさらされています。この時代に、宗教は、どのような意味で人間を救うのでしょうか――聖心会のシスター鈴木とイエズス会の片柳神父が語りあいました。
戦争が宗教を利用する 謙虚な心こそ宗教の基本
【片柳】よく「宗教があるから戦争になる」「戦争を起こすような宗教など、無い方がいい」という声を耳にします。私は、その考えは違うと思っています。「宗教があるから争いになる」のではなく、「争いのために宗教が利用されている」と思うのです。 何かとても大きな存在、神様やキリスト、あるいは仏様の前で、自分の限界に気がついて謙虚な心になるということが、宗教の出発点です。 仮に神様に出会ったとしても、自分は神様のことを全部知っているといような顔で、他の考えは間違っていると決めつけることはできません。神様は、人間が知り尽くせるほど小さなものではないからです。 何らかの宗教体験を通して自分が知ったわずかなことをすべてだと思い込み、相手は間違っていると決めつける。それが宗教の危険性です。どんなすごい体験をしたとしても、神様について自分が知っていることなんて、本当、これっぽっちです。 どんな宗教でも本物の信仰を生きている人は、他の宗教の悪口を言ったりしません。お互いの良いところを認め合い、お互いから学んでいくというのが自然だと思います。 【鈴木】本当にその通りです。私はこれまで、お坊さんなど多くの他の宗教の指導者と対話をしてきました。「宗教が違うから」などと感じたこともないです。 むしろ非常に深いところで通じ合えて、素晴らしいと感じることが多いのです。「自分が正しくて相手が正しくない」という人間の弱さが表れたときに、宗教にかこつけて争いが起こるのでしょう。人間の弱さ、エゴの現れなのです。 【片柳】北鎌倉(神奈川県)円覚寺の横田南嶺老師と、シスターや私は、過去に何度も対談を行ったことがあるんですけど、老師から仏教を学ぶことによって、キリスト教についての理解が深まったように感じました。 おそらく横田老師も、キリスト教との対話の中で仏教の信仰を深めておられるのでしょう。相手をよく知ることで、自分自身のこともよくわかる。そういうことがあると思います。