西川美和監督の傑作『すばらしき世界』で反社会的存在への不寛容を考える
<オウム真理教の元信者たちのようにひとたび反社会的と見なされた存在に対し、日本社会は徹底的に冷酷。その不寛容さをテーマにした傑作が『すばらしき世界』だ>
かつてオウム真理教の信者たちを被写体にしたドキュメンタリー映画を撮っていたとき、脱会した信者が、戻ったはずの社会で居場所を失う場面は何度か目撃した。【森達也(作家、映画監督)】 なぜ居場所を失うのか。まずはメディアだ。特に幹部クラスであればあるほど、メディアは住所を調べて取材にやって来る。だから近所の人に元オウム信者だとばれる。 次に公安警察。彼らは住居だけではなく職場にまで聞き込みに来る。だからオウム真理教にいたという過去を伏せて就職したとしても解雇される。隠さなければいいじゃないかとあなたは思うだろうか。しかし打ち明けたならその瞬間に不動産屋も会社の人事担当者も、蒼白になって帰ってくれと言うはずだ。 地下鉄サリン事件以降に物心がついた若い世代には想像できないと思うけれど、当時のオウムに対する憎悪と嫌悪は(嫌悪は今もそれほど変わっていないとは思うが)すさまじかった。多くの自治体は現役信者の住民票の受理を拒絶した。ならば運転免許の更新や健康保険証の申請ができない。子供を学校に通わせることもできなくなる。当時はオウムだけは特別だと多くの人はこの対応を正当化していたが、例外が前提になることは予想できた。 昨年4月、元暴力団員で現在は建設関連の会社で働いている50代男性が、みずほ銀行に口座開設を拒否されて精神的苦痛を受けたとして、損害賠償を求めて提訴した。口座を開設できなければ、給与振り込みや公共料金の支払い、子供の給食費の引き落としにまで支障が生じる。ローンを組めないから家や車も買えない。ひとたび反社会的と見なされた存在に対して、その履歴が過去であろうが現在であろうが、日本社会はこれほどに不寛容で冷酷だ。最低限の人権すら認めようとしない。 『すばらしき世界』の主人公、三上(役所広司)は殺人の罪で13年の服役を終え、社会人として再出発することを決意する。チャーミングで弱者に対する優しさも持ち合わせる三上だが、激高すると過剰に暴力的になる。要するに自己をコントロールできないのだ。でも自分の利益や保身はあまり考えない。利他心は強い。ところが結果はいつも裏目に出る。