木村多江さんが愛車歴を初披露。スバルから始まったカーライフに迫る! 人生の荒波を乗り越えた思い出深い一台とは
私を支えてくれる同志みたいな存在
「20代半ばから後半にかけての頃だったと思いますが、『クルマが欲しい』、『運転がしたい』と、思ったんです。買うならサーブだとずっと思っていて。サーブはほかのクルマと少し形が違うじゃないですか」 木村さんがそのフォルムを気に入ったサーブとは、1998年から2002年まで生産された初代の「9-3」。1992年から製造されていたサーブ「900」に大がかりなマイナーチェンジを施すと同時に、名称も改めたモデルだ。 「そう、私のサーブはグリーンでしたけれど、この形が気に入っていたんです」と、木村さんは撮影用のサーブ9-3に親しみのこもった視線を送った。 「なんていうのかな、ちょっと硬い感じがして、ぶつかっても突進するような雰囲気に惹かれたんですね。ちょうどその頃は、人生のいろんなことにぶつかって、くじけそうになって、それでも立ち上がって行くぞ、と、思っていた時期だったので、サーブの形が格好いいと感じたんだと思います。それから、フォルムが個性的で人とは違うというところも魅力的でしたね。当時、サーブ9-3は新しいモデルも出ていましたが、古い型のほうが素敵なフォルムだと思って、中古の9-3を探しました」 木村さんが話すように、サーブ9-3は2003年にフルモデルチェンジを受けて第2世代へと移行している。サーブは2000年にGMの完全子会社となっており、2代目サーブ9-3はGMが開発した基本骨格をGM傘下のオペル「ベクトラ」と共用、エンジンもGM由来のものになっている。したがって、サーブファンの中では、木村さんが乗っていた初代9-3こそが最後のサーブである、という意見も根強い。 20代後半から30代前半にかけて、木村さんはサーブ9-3を自分で運転して、さまざまな撮影現場に向かったという。 「群馬とか茨城とか、関東のロケには自分でサーブを運転して行きました。よく壊れるクルマだったし、ハンドルが重くて運転していると疲れるので、撮影現場まで行くのがひとつの旅というか、緊張感がありました。絶対に時間通りに到着しなければいけないので、サーブと一緒に“賭け”をしている感覚でした」 不思議なことに、プライベートではたまに機嫌を損ねたサーブ9-3であったけれど、撮影現場に向かうときにはトラブルはなかったとのことだ。 「おもしろいことに、私しかエンジンを掛けることができないんです。マネージャーさんがエンジンをスタートしようとしてもダメで、だから私がエンジンを始動して、マネージャーさんには助手席に乗ってもらって現場に通ったこともありました」 運転席に座った木村さんは、感慨深そうにインテリアを見渡す。 「がんばらなきゃいけないし責任も伴ってくるけれど、それに応えられない自分もいて、苦しんでいた時期でした。本当に戦う気持ちで現場に向かっていたので、私だけしかエンジンを掛けられないサーブは、私を支えてくれる同志みたいな存在でした。なんであんな芝居をしてしまったんだろう……と、悔しくて泣きながらサーブで帰った日もありました。このサーブを見ていると、あの頃の気持が蘇ってきます。サーブのあとにも何台かのクルマに乗っていますが、苦しい時期だったからこそ鮮明に記憶に残っているのがサーブです」 サーブ9-3を見つめながら木村さんは、「重たいハンドルを回すときに、一度ぐっと体の芯に力を入れなければいけない感覚を思い出してきました」と、しみじみと語った。木村さんにとってのサーブ9-3は、便利な移動の道具ではなく、力を合わせて荒波を乗り越えた仲間なのだろう。 後編となる次回は、戦友や同志のような存在だったサーブ9-3との別れや、いま気になっているクルマについて語る。