木村多江さんが愛車歴を初披露。スバルから始まったカーライフに迫る! 人生の荒波を乗り越えた思い出深い一台とは
愛車を見せてもらえば、その人の人生が見えてくる。気になる人のクルマに隠されたエピソードをたずねるシリーズ第40回。前編は、俳優の木村多江さんがかつて乗っていたスウェーデン車に再会! 【写真】木村多江さんの愛車遍歴の詳細はこちら(20枚)元愛車との共演が美しすぎる!
初めての愛車はえんじ色のステーションワゴン
19歳で自動車免許の教習所に通った木村多江さんは、ちょっとした“問題児”だったという。 「真面目に通っていたんですが、とにかくスピードを出すのが怖くて、路上の教習もずっと30km/hで走るような生徒でした。だから適性検査の結果が配られたときに、部屋には20人ぐらいいましたが、私だけ『よく読んでくださいね』と、念を押されたんです。免許証をもらうときも私だけ特別に呼ばれて、『あなたにも一応免許を差し上げるけれど、周囲のみなさんと協調して、ちゃんとスピードを上げて走ってください』と、言われました」 スピードを上げることは怖かったというけれど、運転自体は楽しかったし、とても好きだったと木村さんは当時を振り返る。 「免許証を持つと、運転をしたくなるじゃないですか? 弟と『クルマを買おう』ということになって、ふたりでえんじ色の(スバルの)『レガシィ・ツーリングワゴン』を買いました」 パソコンで検索しながら確認すると、木村さんの最初の愛車は1989年から1993年まで生産された、初代レガシィだったようだ。 スバル「レオーネ」の後継モデルとして1989年に登場したレガシィ・ツーリングワゴンは、それまでの“バン=商用車”というイメージを覆すスタイリッシュなデザインと、水平対向エンジンと4輪駆動システムを組み合わせたパフォーマンスで一世を風靡した。このクルマの登場が、1990年代のワゴンブームにつながっていく。 もうひとつ、国際戦略車として開発されたこともポイントで、このクルマの北米市場での成功が今日のスバルの礎を築いたともいえる。木村さんの最初の愛車は、いろいろな意味でエポックメイキングなモデルだった。 「でもやっぱり運転は上手ではなかったようで、友達を乗せたら、『もう二度と乗らない』と言われてしまいました……。私の運転が危なくて、気が気ではなかったようです。あと、私が遅いのも悪いのですが、トラックにぴったり後ろにつかれて、怖い思いをしたこともありました。でもクルマで出かけることは好きで、どこへ行くにも運転して行きたい、と、思っていましたね」 レガシィ・ツーリングワゴンとの生活は、4年ほど続いたという。その後、仕事が忙しくなったこともあり、しばらくクルマに乗らない時期があった。