「斎藤知事は反社会的勢力にはめられた」説が陰謀論扱いされる理由
港湾への影響力は低下
山口組は、東京オリンピック(1964年)を機に本格化する警察の「第1次頂上作戦」のあおりを受け、港湾と興行の正業分野での傘下企業の大半を失います。 ただ、組の息のかかった者が実質的に経営する倒産整理、金融、不動産、土建、解体業など「フロント企業」という形態で首都圏を含め列島各地への進出はむしろ加速したのです。 バブル景気華やかなりし頃は、「地上げ」を含めた土地開発や入札調整、仕手筋と手を携えての株価操作など、大型の「民暴」(民事介入暴力)が盛行しました。この分野でも、全国区の山口組の暴力イメージが、取引の障壁となる相手を黙らせるのに多大な威力を発揮したのです。 もとより、恐喝、博打(ノミ行為も)、用心棒代(みかじめ料)、薬物取引など、伝統的な食い扶持も維持されてきたことは言うまでもありません。 もっとも、バブル崩壊後の1991年に暴力団対策法がつくられ、暴力団排除条例が全国的に実施された2010年代以降、彼らの存在は一般社会から切り離されていくようになりました。山口組も例外ではなく、シノギ厳冬の時代を象徴する事件が相次ぎます。 2019年に、息子が経営する尼崎市の鉄板焼き店を手伝っていた神戸山口組の幹部が、「6代目」系元組員に自動小銃で射殺されましたが、この幹部はシノギに困り、借金でもあったのか組織から脱退することも許されず、実質的に店の経営で生活していたようです。
「6代目」にしても事情は同じで、近年、関西地方を荒らし回っていた高級車窃盗団が摘発を受けましたが、主犯格は「6代目」傘下組織の組長でした。その組織は名門テキヤの系譜を継ぐ名跡(みょうせき)の傘下だったのですが、「暴排」で祭礼からテキヤ系組織が排除されたこともあり、組織ごと窃盗団に鞍替えした模様です。 困窮に陥っているのはなにも正業に関してだけではなく、最近では、組員の生活に直結する電気・ガス・水道などライフラインにも規制が及ぼうとしています。 *** ここまでをまとめると、山口組が神戸港を原点として生まれたことや、昭和のある時期までは深く関わっていたことは事実だとしても、その影響力は時代と共に失われてしまったということになる。山口組以外の勢力の存在も否定できないとはいえ、巨大な闇の利権に手を突っ込もうとして反撃を受けた、というのはかなり無理な解釈だというのが常識的な見方だろう。 もちろんこれを信じるか、斎藤知事擁護論を信じるかは個人の自由であるが――。
デイリー新潮編集部
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