「日本でこんなに人気になるとは…」韓国ドラマはなぜ世界的ヒット連発? 始まりは20年前「冬のソナタ」の熱狂 自信を持った制作陣、ネトフリも追い風に
翌2004年の4月に地上波で放送されると空前のブームに。主演のペ・ヨンジュンさんが表紙を飾る雑誌は予約時点で完売した。〝ヨン様〟が来日した羽田空港には中高年を中心に女性約5千人が押し寄せた。ロケ地の韓国・春川市には多くのファンが訪ねて一大観光地となるなど、社会現象となった。 ▽冬ソナが生んだドラマ産業、輸出へ 冬ソナを制作したPANエンタテインメントの金喜烈(キム・ヒヨル)副社長は「過去に複雑に絡み合った日韓関係の影響で、長く日本への市場進出は難しかった」と振り返る。状況を変えたのは、両国が未来志向の関係をうたった1998年の日韓共同宣言だった。2002年のサッカーワールドカップ(W杯)日韓共催に向けた文化交流が始まり、韓国ドラマも日本の地上波で放送されるように。そこで爆発的ブームが生まれ「ドラマ制作者は日本を新たな市場と捉え、多くの会社がドラマを作り始めました」。 韓国の放送局SBSで韓流スター、チャン・グンソクさん出演の「美男(イケメン)ですね」を制作した洪性昶(ホン・ソンチャン)さんも「韓国ドラマを産業化させたのは冬ソナ」と言い切る。現在、SBSが設立した制作会社「スタジオS」の制作局長を務める洪さんは「日本の市場でドラマが売れると分かりアジア、中国へと広げていった。文化は輸出できると自信を持てるようになった」。
ペ・ヨンジュンさんに続き、チャン・ドンゴンさんやイ・ビョンホンさん、ウォンビンさんが日本で「韓流四天王」として人気を集め、出演作がこぞって買い付けられた。音楽にも波及し、2008年には東方神起が、2011年には少女時代とKARAがNHK紅白歌合戦に初出場し、K-POPが韓流をけん引するようになった。 ▽日韓関係が冷えると中国そして世界配信へ しかし翌2012年から韓流は国際政治の荒波にほんろうされる。李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島(韓国名・独島)上陸で再び日韓関係は急速に冷え込む。日本へのドラマ輸出は減少し、不況に陥るかに思われたが、同時期に中国でドラマブームが起きた。 「日本に代わる市場として芸能人やクリエーターが進出し、日本での人気で高騰した制作費にも耐え得る新しい道が開かれた」とPANエンタテインメントの金副社長。潤沢な中国資本で韓国ドラマはよりダイナミックな演出や撮影が可能となり、高い技術と経験が蓄積されていった。