ファミコンを懐かしむ ファミリーコンピュータ発売から30周年
翌1984年は任天堂以外の企業も参入し、ナムコから発売された「パックマン」、「ゼビウス」などを含む、20タイトルがリリースされました。ピーク時の1990年は157タイトルも発売され、1987年以降、1991年まで毎年100タイトル以上がリリースされました。もっとも売れたゲームは1985年の「スーパーマリオブラザーズ」で日本だけで680万本以上、世界で4000万本以上を売り上げています。 スーパーマリオのほかに、話題になったソフトの代表格といえば、エニックスから発売された「ドラゴンクエスト」シリーズ。1988年2月に発売された「ドラゴンクエスト3」は、その人気が過熱し社会問題にまで発展してしまいました。発売日の2月8日は平日(水曜日)だったにもかかわらず、全国各地の販売店に行列ができました。学校を無断欠席して購入する小中学生も現れ、また、ドラクエほしさに恐喝などの行為も多発し、世間を騒がせました。なお、これ以降、ドラクエシリーズの発売日は、公立学校の休みの日となりました。また、抱き合わせ販売なども社会問題になり、さまざまな影響を与えたソフトでした。 任天堂が世に送り出した、コントロールパッド付きのハードは、その後の据え置き型ゲームの基礎となり、奇しくも同日に発売されたセガの「SG-1000」を寄せ付けることなく、爆発的ヒットを記録しました。ファミコン以前には、米、ATARI(アタリ)社の販売するハードもありましたが、ハード、ソフトともに優れていないとヒットしないカテゴリにおいて、普及機とはならず、後発のファミコンが新たな家庭用ゲーム機というポジションにおいて、不動の地位を築くこととなりました。 その後、スーパーファミコン(1990年発売)、NINTENDO64(1996年発売)、任天堂以外からは、ソニー・コンピュータエンタテインメントのプレイステーション(1994年)が発売されるなど、ファミコンはその役目を継承しますが、功績は図り知れません。「ファミコンがあったから、今のゲーム産業があり、ファミコンが、今のプレイステーションやXboxなど、他の家庭用ゲーム機の基礎になった。そういう意味でもファミコンが与えた影響は、とてつもなく大きいものだと思います」(林編集長)。 日本企業に勢いがあった時代の象徴的な製品だったファミコン。米国のATARI社を追い越し、米国のマイクロソフト社のXboxの礎になっているなどは、ゲーム界の枠を超えて、日本の技術が世界を席巻した事例の1つだったと言えるでしょう。