長尾謙杜が舞い、大泉洋と堤真一が激突!砂塵舞う『室町無頼』の撮影現場で目撃した超絶アクションをレポート
大泉洋が主演を務める時代劇アクション『室町無頼』(2025年1月17日公開)。入江悠監督が、直木賞作家・垣根涼介の同名小説を実写化した本作は、室町、“応仁の乱”前夜の京を舞台に、日本史上、初めて武士階級として一揆を起こす蓮田兵衛と、彼の元に結集した「アウトロー=無頼」たちの戦いを映しだす。大泉洋演じる兵衛のもとで、身も心も成長する才蔵役を、なにわ男子の長尾謙杜が演じている。ほか、柄本明に北村一輝、松本若菜ら濃い魅力を放つ演技派たちが集結。さらに、幕府から京の治安維持と取り締まりを任される悪党一味の首領にして、兵衛の悪友、骨皮道賢役は堤真一が演じている。 【写真を見る】長尾謙杜が、飛ぶ!「ありえない。これ人ちゃうやん」とこぼすほどの長尺アクションに挑んだメイキングシーン 物語の舞台と同じく京都で行われた『室町無頼』の撮影現場に、MOVIE WALKER PRESS編集部が潜入。才蔵が六尺棒で大立ち回りを演じた長尺ワンカット・アクションと、骨皮道賢vs蓮田兵衛が激突するクライマックスシーンの舞台裏を、たっぷりレポートする。 ■長尾謙杜の“六尺棒”さばきに惚れ惚れ。まさに見せ場なアクションを目撃 そんな重要シーンが展開する“花の御所”のオープンセットは、1か月半ほどをかけ、京都・東映太秦映画村に680坪(約2200平方メートル)もの広さで組まれたもの。「花の御所」は室町殿とも呼ばれ、幕府の名の由来になっている。煌びやかな門まで一直線に抜けた、75メートルの通りが今回のアクションシーンの舞台だ。 まず見学させてもらったのは、長尾謙杜扮する才蔵のワイヤーアクション。4~5メートルほどの高さの門の上で“六尺棒”を振り回して大立ち回りをしたかと思えば、塀の上を走り、敵を倒しながら前へ前へと進んでいく。地上に降り、ふたたび激しい乱闘に。目的地の門に向かっていくまでをワンカットで見せる、長尺のシーンだ。 武器の「六尺棒」は、もともとは才蔵が洛中で物売りとして生計を立てていた時に使っていた天秤棒だ。才蔵は、この一本の棒で混乱の世を生き抜いてきたと言ってもいい。六尺(=約1.82m)の長さを活かした棒術アクションは、本作の大きな見どころ。原作では「生きてきた鬱憤をすべて爆発させるような棒さばき」とも表現されている。そんな “棒さばき”を修得すべく、特訓に励んだ長尾は、この日も超人的なアクションを披露してくれた。ところどころ破けて血がにじんだ衣装をまとい、顔中血だらけの長尾が「やぁー!」の掛け声と同時に走りだす。次々と敵をなぎ倒していく姿を、カメラが追いかけていく。 カットがかかるたび、じっとモニターをチェックする長尾は、まだ動きに納得がいかないといった表情。「無理やり行かずに、4歩のほうがいい」などと指示を受け、歩数の調整をしながらテイクを重ねる。入江監督の「OK!」の声が響くと、現場には拍手が起き、険しい表情でアクションをこなしてきた長尾からも、笑顔がこぼれた。 カメラが回っていない間、アクション監督、スタントマンと一緒に棒さばき、腰の落とし方を何度も確認している姿が印象的だった長尾。六尺棒の扱いが非常に様になっていたが、「自分でもわかるくらい最初は不格好で、どうやって棒を振ったらいいのかも全然わからなかった」という。撮影前に台本を読んだ際、「『ありえない。これ人ちゃうやん』みたいなト書きもあったりして(笑)」とも振り返る。「アクションをやるぞ!と意気込んでいたので、楽しみでしたが、いざアクション練習の初日を迎えると、翌日はもう全身筋肉痛で(笑)。百本の素振りを何セットもやったのですが、泣きそうになるぐらい筋肉痛でしたね。あれ人間ってこんなに筋肉痛で動かれへんのやって」と言い、「少しずつそれが自分のものになっていった感覚があります」と、才蔵同様、徐々に棒術を体得していったことを話してくれた。 後日、このアクションシーンについて述懐した長尾は、「ワンカットですごい長尺のアクションを撮るので、動きの数も多くて…。壁を登るワイヤーも大変でしたし、そこにさらに才蔵らしさを出すことだったり、いろいろなものを詰め込んでいくことになるので、すごく大変でした(笑)。普段はちょっと大変でも『いやいや、全然大丈夫でしたよ!』と言いますが、あれは心から大変でしたね」。「これまでの作品の中で一番大変だったかもしれないです」と言葉を重ねる。 極貧生活を送っていた才蔵は、蓮田兵衛に預けられ、唐崎の老師のもとで修行を行い…と、血縁ではない大人たちに育てられていく存在。ただ“食べるため”に生きてきた才蔵は、どこか厭世的で、怒りが原動力でもある。 堤真一は「『室町無頼』という作品は、兵衛が才蔵に託していくもの、才蔵が誰かに託していくもの、それぞれが作った礎を引き継いでいくという話でもあると思います」と語る。才蔵役は、長尾にとって間違いなくターニングポイントとなるはずだ。 ■“アウトロー=無頼”たちが入り乱れるなか、大泉と堤真一が一騎打ち 本作を貫くのは、荒廃した世界観だ。干ばつが飢饉の原因でもあり、大飢饉と疫病が同時に襲った時代が描かれている。そうしたトーンを象徴するのは、視界を覆うほどの“砂塵”。「こんなの、西部劇でしか観たことがない!」と思うほど、もうもうと砂塵が舞う中でのアクションシーンは、想像以上のものだった。 「本番!」の声がかかると、雑音が入らないよう静かになるのが通常の現場だが、『室町無頼』の撮影現場は違う。ブオン!ブオン!と、あちこちからけたたましい音が鳴りだす。両腕を広げたほどもある大きさの扇風機が何台も据え置かれており、一斉にこれらが回りだすのだ。スタッフたちも手持ちの扇風機を使って、本番のたびに四方八方から粉を飛ばす。 これだけの雑音が飛び交う撮影、音はどうするのか?と質問すると、こうしたアクションシーンは基本アフレコで対応するとのこと。リアリティとして現場の“音”を重んじる傾向にある現在の日本映画は、現場での同時録音が主流だが、海外映画は「オールアフレコ」を前提にサウンドデザインされている作品も多い。現場では撮影に集中し、撮影後のポストプロダクションにも時間をかける。これは贅沢なことに思える。ちなみに、砂塵として使われているのは、大麦を炒って挽いた“はったい粉”で、現場には香ばしいような甘い匂いが漂っていた。 そうして迎えた、兵衛と道賢が激突するクライマックス。堤が「僕は指揮官の役なので、直接戦うことはほとんどないはずだったんですが、撮影が進むにつれてなぜか、洋ちゃんとの『一騎討ちがみたい』と監督が言いだして(笑)」と、撮影中に生まれたシーンだったことを明かしてくれた。 “スラム化した京都”という時代背景だけあって、時代劇らしからぬ衣装も楽しめる。道賢率いる一派の衣装は、赤白のボーダーにバンダナ姿。黒髪の長髪をぐっと後ろで結わい、全身黒の衣装に鎖帷子をまとった道賢の姿は“一派のカリスマ”を感じさせるが、「道賢の衣装がね、重いんですよ。鎖帷子で。あれをちゃんと作っていただいたんで、本当に重いんです(笑)。それを着て立ち回りをしなければならなかったので、腰を痛めました」と笑いながらも、「スピード感のある殺陣というよりは、大きく見せることだけを大事にしていました。でも、“速く”となると手だけになっちゃうので、それだけは避けて、大きく、大きくということを意識しました。太刀筋がきれいに行くように、波を打たないように。速くやっていると波を打ってしまうんですよ。そうならないように重い感じで刀を振る。大きく、大きくメリハリのある動きを意識していました」と明かした。 対する大泉は「やっぱり堤さんは、アクションにも慣れてらっしゃいますから、ちょっとしたシーンが本当にかっこよくて。兵衛のもとへ数人斬ってからやってくるというシーンがありましたが、すごく趣のあるお寺で撮影させてもらったこともあって、それがまあかっこよくて。俺、この人とこの後に一対一で戦うんだ、どうしよう…みたいなね(笑)。実際に一対一の撮影でも本当に迫力があって、がむしゃらにくらいついていきました」と、対決シーンを述懐。 低く刀を構えた二刀流の兵衛が、果敢に道賢に向かっていく。ギリギリ…っと刀をぶつけ合うシーンはカメラもぐっと近づく。戦う相手は、道賢だけではない。あちこちから刀やハンマーを手にした敵が兵衛に襲い掛かる。太ももにグッと小刀を刺され、悶絶する兵衛…。傷を負うたび、衣装も顔も血しぶきに濡れていく2人。こちらも非常に長回しで見せていく。総勢200名ほどの役者・エキストラが入り乱れる、圧巻のシーンとなった。 ■いまの年齢の大泉洋で、いまの時代に『室町無頼』が撮られた意味を感じさせてくれる 50代を迎えたばかりの大泉にとって、 “大泉洋史上最高にカッコいい男”兵衛役は大きな挑戦となった。「身体的には本当にきつかったですけれど、兵衛という役をやるには、いまの僕ぐらいの年になって出る味わいというか雰囲気が必要だったんだなといまとなっては思っています。結果としてやっぱり、この時期に演じることができてよかったのかなと」。 一筋縄ではいかない、しかし人を惹きつける主人公像については、「非の打ちどころのないヒーローではなく、無頼というぐらいだから、どこか悪いこともいっぱいしてきたんだろうなと、時にはいい加減なところもあって。と異様なイメージです。だけど実は、ものすごく熱いものを持ってるという人なんです」「多面的だけれども、一本筋が通っているからこそ、この人なら信じられるという強さがある気がします」と語った。 「僕は正直、あまり人の上に立ってみんなをぐいぐい引っ張っていくというのはなかなか向いていないんです。人見知りでもありますし。ただ蓮田兵衛も、本来は自分が先頭に立ってグイグイいくというタイプの人間ではないと思うんですよね。だけどやるしかなかったというか、その時代のなかで表に立つしかなかった人というか。この時代というものが、人々の先頭に立って周りをぐいぐい引っ張っていくことを彼にさせた、彼もそうするしかなかったのかなという気は個人的にしています」とも分析する。堤も「立場の違いがありつつ、それでもつながっているという微妙な関係。敵対するだけではないという、そのあたりの役どころもまたおもしろいなあと思いました」と語る。2人の関係性の変化にも、注目してほしい。 足掛け8年の時間をかけて、製作にいたった本作。その間に、日本社会の“貧しさ”のリアリティが増した。「映画の舞台となっている室町の後期は、政治が機能していなくて、飢饉もあってとんでもない数の餓死者が出て、本当に荒廃しきっているのですよね。それはどこか昨今のコロナの時代に重なるものがあると思うんです」「本当に死と隣り合わせの時代だったのだろうなというのは、コロナ禍を経験したいま、想像ができました」と大泉も語っている。 一方で、クランクインに際して、本作の時代設定を「日本時代劇でも前例のない生き馬の目を抜く中世、ほぼ『マッドマックス』の世界観です」とコメントしていた入江監督。撮影当日も、「社会派なメッセージを求められることも多いけれど、映画単体としておもしろいと思える映画が一番ピュアで強い」と力強く語ってくれた。その言葉にふさわしい“エンタメ活劇”として、ジャンルを逸脱する心意気を感じさせてくれる撮影現場だった。作品の完成を楽しみに待ちたい! 取材・文/下田桃子(MOVIE WALKER PRESS編集部)