木梨憲武が「帝京魂」継ぐ後輩にエール 優勝時には恒例の作業を「学校から断られても俺がやります」
全国高校サッカー選手権は28日に開幕する。2009年度(第88回)大会以来、15大会ぶり35度目の出場となる帝京は、開幕戦(東京・国立競技場)で京都橘と対戦。同校サッカー部OBで「とんねるず」の木梨憲武(62)がこのほど、スポーツ報知の単独インタビューに応じた。強豪校で過ごした3年間の思い出や、スポーツ界に定着した“帝京魂”の意味などを熱く語り、後輩たちにエールを送った。(取材・構成=浅岡諒祐、星野浩司) 青春時代に戻ったかのようだった。木梨の目は輝き、声は弾んだ。 「OB会の皆さんもざわついているようです。この間、テレビ収録で一緒だった(帝京サッカー部出身の実業家)ROLANDも高ぶっていましたよ。(初戦の)28日に向けて皆で一緒に見るのか、席はあるのかとかいろいろ準備をしてます」 選手権切符をつかんだ東京Aブロック決勝(2〇1国学院久我山戦)はテレビ観戦。時代の変化と躍動する後輩たちに驚いた。 「黄色のユニホーム着てたでしょ。我々の年代は予選まで赤だったからね。短パンもブルーじゃなくて、少し水色っぽくて。あのゲーム、ひっくり返したんだよね。1点取られても慌てずに。今の子供たちは貪欲で冷静なのかな。選手権は『待ってました、帝京』という人たちもいて、注目されるんで『あれ? 昔の帝京の強さ戻ってきたね』ってかましてほしいですね」 木梨は77年に千歳中(世田谷区)から強豪・帝京高に進学。入学理由は「大きな勘違い」だった。 「選手権を見て燃え上がった俺としては、サッカーやるならここしかないと。でも、新入部員百数人のうち、12~13人が特待生。全国の一番うまい番長が全員、帝京高校に入ってきた。町の普通のセンターフォワードが、とんでもない場所に来たなって。毎日キョロキョロするくらいの高校時代を味わったね。(主力は)アイドル並みにファンレターをもらって、俺は部室で『ちぇ』って言いながら見ていました」 しかし、名将・古沼貞雄監督の指導の下、徐々に出場機会をつかんでいった。 「帝京のジャージー着ているだけで(相手は)『うわ、来た』みたいな。それで、胸張って『帝京ですけど』『何か問題ありますか?』みたいな。その喜びは味わった。やべーな、帝京って」 3年時には東京予選決勝でピッチに立ち、選手権出場に貢献。本大会のメンバー入りを期待し、大みそかの発表を迎えた。 「入るとしたら最後の18人目だと分かっていた。(監督から)最後に『木梨』って呼ばれたんで身を乗り出したら『木梨とかいろいろ考えたけども』って続いたんですよ。結局は、違う選手が選ばれました。もう忘れもしない。大概のことは忘れているんですけど」 強豪として知られた校名をお茶の間に広めたのが、石橋貴明と組んだお笑いコンビ「とんねるず」だった。バラエティー番組で連呼する「帝京魂」が浸透した。 「一つになるためなんだよ。サッカーって技術が上でも試合になると分からないから、ミスしないためには、まとまるしかない。そこを結びつけるのが帝京魂だったのかもしれない。野球部もサッカー部も他の部も。でも、どこから来た言葉だろう? 記事的には俺らがつけたって言いたいんだろうけど(笑)」 帝京のユニホームには選手権6、総体3の優勝を示す9個の星が刻まれている。木梨は91年度以来、10度目の頂点を目指す後輩たちにある約束をした。 「もし優勝したら、星の手縫いをお約束します。俺がサブ(控え選手)の分まで手縫いします。多分、学校側から断られるけど、断られても手縫いします」 名門復活へ。カナリア軍団が選手権に帰ってくる。 ◆帝京サッカー部 1956年創部。65年から2003年まで指導した高校サッカー界の名将・古沼貞雄氏の下、選手権は74年度の53回大会での初優勝から、56、58、62、63、70回大会(63、70回は両校優勝)と、国見と並ぶ戦後最多6度の優勝を誇り、夏の高校総体でも76、82、02年と3度優勝している。現在の部員数は110人。 ■取材後記 面白く伝えようとする旺盛なサービス精神は、テレビで見る木梨さんそのものだった。 実際に使用していた予選用の赤のユニホームと、オニツカタイガーのシューズ袋を見せてくれた。袋には選手権前にもらったチームメートのサインが、ぎっしり。「これは捨てられない。捨てるわけがない」といとおしそうに見つめた。当時のグッズはほぼ保管しているらしく、木梨さんにとって大切な宝物だということが伝わってきた。 「本当はコーチで入りたい。(日本代表の)森保監督の横の名波さんみたいに」と母校への熱い思いも明かした。卒業後も、テレビ番組で元ドイツ代表GKカーン氏とPK対決するなどサッカーの魅力を発信してきた。還暦を過ぎた今でも、競技への思いと“帝京魂”は燃え続けていた。(サッカー担当・浅岡 諒祐)
報知新聞社