「死んでも誰かと一緒なら…」小松菜奈と松田龍平が『わたくしどもは。』で感じた“死生観”
人は生きていても、魂になった後でも意味みたいなものが必要なのかもしれない
――ミドリとアオについてはどんなふうに捉えていましたか? 松田 ミドリは異様な世界に来てしまったことに戸惑っているところがありましたけど、アオは自分が現世にはもう生きていないことを知ってしまっているのかなと思って。時間が止まってしまった死後の世界で、ただそこにいる。というイメージがありました。 アオが窓から外を眺めているシーンがあるんですけど、そのシーンを撮ってるときに、「あ、僕が演じてるアオやここにいる人たちは心霊写真でたまに写りこんでしまう霊みたいな存在なのかな」と思って(笑)。外を理由もなく眺めているとうっかり写り込んでしまう霊のやつ。 小松 (笑)。確かに、そういう写真ありますね。 松田 そんな気持ちでいたら、息苦しくなったりして。呼吸は生きている証のようなものじゃないですか。だから、気配を消そうとすると体全体が縛られるような感覚になっていって。まあ、今思えば違うアプローチの仕方もあったのかもしれない、けど(笑)。 小松 そうだったんですね。 松田 元々恋人同士だったであろうふたりが、死んでしまって、記憶も感情も現世に置いてきてしまったからか、再び死後の世界で再会しても誰だかわからないんです。それでも、どこかでつながっているような感覚の中にいるふたりの描き方が素敵でした。だんだんとミドリの存在が、アオにとって、そこにいる意味になっていく感覚がありました。 小松 映画の中でも、生を感じるときと、死を感じるときと揺らいでいる感覚がありました。前世での思いが強かったから、ふたりはまた出会えている。ミドリとアオがトンネルを歩くシーンがありますが、「カットがかかるまで歩いてください」と監督に言われたんです。でも、トンネルがものすごく長くて、歩いても歩いても辿り着けない。出口の見つからない感じが、離れられないふたりの関係性と重なるようだなと。 松田 それから面白かったのは、死後の世界でも皆、何かしらの仕事をしているんです。人は生きていても、死んで魂になってしまった後でも何か、役割というか、そこにいる意味みたいなものが必要なのかもしれないなって思って。アオは警備員のようなことをしていたし。 小松 ミドリも掃除をしていましたね。 松田 幽霊になったからといって自由に飛び回ったり、やりたい放題ができるわけじゃなくて、生きていたときのようにまた働いて、何かそこにいる理由というか、意味みたいなものを探すのかもなって。