Z世代は「これまでの日本」を見捨てる・その2~なんちゃって政治、なんちゃって民主主義、なんちゃって近代的価値観
「近代」の溶融
この前AIについてのズームのシンポのQ&Aで、演者に質問してみた。「日本は、AIの開発で米国や中国に伍していけますか?」と。ChatGPT(これももう古いそうだが)などIT、ATのソフト関係で、日本は貿易赤字が拡大しているので、聞いてみたのだ。 しかし若い演者はつぶやいた。「この方は国家を単位にして考えておられる。我々、開発エンジニア達は国籍を意識しない。ちょっと次の質問の方にいきましょう」と。これは筆者にとって新鮮で、「ああ、IT関係の若者はこういう考え方をするのか。米中対立も、尖閣も、関係ないのだな。そういうのはジャマなんだな」と思った次第。 近代の世界は、主権国家を基本単位として回ってきた。ところが、その国家が溶融する兆しを見せている。今後の世界で、何が基本単位として機能するのか、筆者にはわからなくなっている。 国家に加えて、「近代」を支えてきた価値観も、建前と現実の間に差があることを露呈しつつある。つまり我々が進歩の目標として掲げてきた「自由」、「民主主義」、「市場経済」は、見直しを必要としているのだ。 米国は2003年、中東に自由・民主主義を広げてやるのだと見栄を切ってイラクに武力進攻し、フセイン大統領を縛り首にしたが、その後のイラクでは自由・民主主義どころか、混乱と困窮が広がった。自由は強い者しか享受できないし、民主主義は格差の小さな社会でしか成立しないことが露わになった。そして先進諸国は今、中国に倣って半導体やEV産業に政府補助金を大盤振る舞いしているが、これは市場経済、自由競争の原則を踏みにじり、経済の活力を殺ぐものである。
「地球人」の登場
今の東京を歩いていると、不思議な気分になる。日本の先端部分は多国籍化と言うか、地球人化しつつある。以前は目立つのをはばかって、電車の中では小声で話し合っていた中国人も、この頃は本来の大声で話をするようになっている。それも、しっかりしたビジネスマン風の男がスマホで話していたりする。彼らは日本とか中国を別に意識することなく、自分のビジネスを東京の通勤電車の中でやっているだけなのだ。 金髪・青い目の外人観光客も観光地では随分傍若無人な振る舞いも見せているようだが、東京では見たことがない。彼らは、幼時から好きだったマンガ、アニメのヒーロー達の故地にやっと来ることができた喜びと興奮を漂わせ、彼らよりずっときちんとした身なりの日本人乗客たちに気を使って、それでも自由に話し合って降りていく。 こうした若い連中は、知識、意識からして、国籍がもうない。一種の「地球人」化しているのだ。そして、こうした意識と知識水準の高い連中ならば、どんどん日本に定住してもらえばいい。ただそういう時には、日本人の多くは下働き的存在に落とされているだろうが。 他にもねじれはいろいろある。企業にも嘘が多い。株式会社などと言うが、実際は仲間内に株を持ってもらったり、株主総会をできるだけ問題なしに乗り切るのが総務の腕の見せ所だったり、金融は銀行に依存して、経営指南まで銀行から得ていたり、何のために株式を発行しているのかわからない企業が多かった。 これらのねじれを、Z世代が全て解決することは期待していないが、「✖✖ハラ」でこれまでのルールを全否定することはやめて欲しい。人間の権利、自分・他人の権利、そして生活水準の一層の向上。この基本からは外れないで欲しい。 地球人、AIが作る社会はどのようなものだろう。日本はもう、見本を外国から移入するわけにはいかない。昔の教養主義はもう成り立たない。日本は自前の価値観、自己流の目標を設定して行かないといけない。
河東 哲夫(外交評論家、元在ロシア大使館公使、元在ウズベキスタン・タジキスタン大使)