Z世代は「これまでの日本」を見捨てる・その2~なんちゃって政治、なんちゃって民主主義、なんちゃって近代的価値観
Z世代に捨てられる、これまでの日本
この頃の日本を見ていると、凍ったオリーブ油を冷蔵庫から出した時のように、縁からじわじわ融け始めている感がある。電車や街で見る学生・生徒は制服姿で昔通り。自分を囲む体制の中で安心しきっているが、スタート・アップの立ち上げ、国際NGOへの参加など、目を見張るような自主性と能力を示す連中も出てきている。 今までの常識はどんどん壊されてきた。東大法学部卒業で大銀行や企業の幹部、あるいは国家公務員というキャリア・パスはもう廃れつつある。社会の中での格付けが変わってきたというのか、若者は「意味があるのか、ないのか。面白いか、どうか」でキャリアを選ぶ者が増えているようだ。もちろん、3年生の時から就活に奔走して、これまでの日本に組み込まれていく方が大多数だろうが、先端部分は溶融してきたのである。 東大法学部は近年では定員割れ。学生は筆者に相談してきて、「外務省と日銀と外資とどれに行こうか迷っているんですが」と言う。その外務省や他の省庁では、ヘッド・ハンターが暗躍していることもあって、入省して10年も経たないうちに見切りをつけて外資などに転職していく者が危機的な数に達している。企業でも、戦後の滅私奉公を助長してきた終身雇用制は溶融しつつある。 そして戦後の日本人を洗脳してきた大マスコミも今、インターネット、YouTubeとの競争にさらされて存続の危機に立っている。グーテンベルクの活版印刷技術をベースとした新聞・雑誌は今、インターネットという新しいプラットフォームをベースとしたものに組み替えられつつある。 そして労働力不足の今、キツイ職業はいとも簡単に「捨てられる」。小中学校も、教師は勤務条件がきついので希望者が足りない。それは警官も自衛官も同様だ。 新聞も読まない。テレビも見ない。投票にも行かない。これまでの社会・政治・経済のインフラ、枠組みが、若者には何ともダサく、うそっぽく、非合理で不条理なものに見える。彼らはこれに「✖✖ハラスメント」という帽子を被せて炎上させる。 Z世代には「解放」されている若者が多い。野球の大谷はもちろんのこと、スキー・ジャンプで世界最高峰の一人、小林陵侑は22年2月8日の日経で、五輪には魔物がいるのではないかと聞かれて、「ぼくが魔物だったかもしれないです」と返した。この不敵さ。もちろん、厳しい練習に支えられているのだが、世界を悠々とわたっている。 ひょっとしてこれは、学力低下を招いたとして袋叩きにあった2000年代の「ゆとり教育」のプラスの産物なのではないか? 「日本人はもっと『個』を表に出さないと世界でやっていけない。自分で考え、表現し、動いていく人間を作らなければいけない」という趣旨で始まった「ゆとり教育」は、やっと本格化する態勢が整ったかというところで、学力の低下が問題となり腰砕けになったが、この世代の先頭が社会で活躍し始めたようだ。 ただ、ゆとり教育は、落ちこぼれも生んだ。自分というタコツボに潜り込んで、少しでもさわると「✖✖ハラだ!」と言って叫びたてる人間が増えている。こうした連中は、自分たちは何でも知っている、スマホで知ることができる、と思い込んでいるが、多くの場合は既成観念や思い込みをつなぎ合わせて、ものごとを黒か白に割り切るだけだ。