Z世代は「これまでの日本」を見捨てる・その2~なんちゃって政治、なんちゃって民主主義、なんちゃって近代的価値観
---------- 「Z世代は『これまでの日本』を見捨てる・その1~この国をいまだに蝕む明治以来ほったらかしの『ねじれ』の数々」で見てきたように、近代国家発足以来の多くの矛盾を解消しないまま日本は走ってきた。そのために生じた世界に比べて著しい停滞社会を若い世代は見捨てようとしているのか。 ---------- 【写真】Z世代は「これまでの日本」を見捨てる・その1~明治以来の「ねじれ」の数々
現実から遊離した日本国家主義とマルクシズム
戦後の米ソ対立は、日本社会に「保守・革新」という、現実から少し遊離した不毛の対立をもたらした。 一つは、戦前、インテリが移入したマルクシズムを旗に、既存の体制を否定する「革新」勢力の存在だ。戦後日本の言論界・学界は、マルクシズムを奉ずる者が一時は主流をなし、現実とは遊離した歴史観、国際情勢分析、経済分析を広めた。それでもマルクシズムを掲げる野党への支持は一定数を超えることがなく、そのため戦後の日本では長い間、自民党による長期単独支配が続くこととなった。 一方、一部のマスコミは、革新勢力の唱えるユートピア平和主義に傾いた報道を続けることで自主防衛力の増強を妨げ、結局は対米依存を余儀なくさせるという、米国に実質的に甘えた構造を助長した。大学の経済学部はマルクス主義経済学の専門家達が教授職を独占したため、数理経済分析で日本は後れを取った。 戦争、と言うか敗戦は、もう一つのねじれも生んでいる。第2次大戦前の日本の対外拡張を正しいものとし、天皇を頭にする立憲専制の復活を夢見る国家主義の存在だ。これは人数的にはごく少数なのだが、独善的で民主主義にはそぐわない。そして彼らは本来は、日本を絨毯爆撃し、原爆まで落として屈服させた米国に反抗するべきなのに、それをしない。ねじれている。
フィクションとしての民主主義・政党・選挙
今、日本で、自民党のウラガネ問題が大きくなっている。これは、政党・選挙といった民主主義の大道具が、日本では絵に描いた書き割りでしかない「何ちゃって民主主義」であることを示す。 歴史を振り返る。英米の議会と違って、日本の国会は西欧から移入されたシステムだ。戦後米軍が押し付けてきたものではなく、1890年、明治の帝国憲法で設立され、1925年には成人男子の全てに投票権が認められ、軍部が台頭してくる前には、「大正デモクラシー」と称せられる、政党政治の時代もあった。戦後、米占領軍は選挙権を女性に与えて、選挙の基数を一挙に倍増させた。 しかし投票権のベースが大きくなればなる程、民主主義を貫くのは難しくなる。と言うのは、人々は自分の生活で手いっぱいで、町内会の仕事すら避けるくらいだから、国家のことまで考えている余裕はない。消費税、年金、医療費以外のことは、国会・政府で適当にやってくれればいい、となりがちだ。 政党・議員も選挙民を一人一人訪問して話し込む時間はない。それに、戸別訪問は公職選挙法で禁止されている。だからどこかの国や人物を悪者に仕立てるとか、減税や何とか手当て支給の約束で、大衆の票を取ろうとする。これはもはや民主主義ではなく、ポピュリズム、悪くするとファシズムになる。 そして政党や候補者は、建設・輸送・医療・農業など、力は以前より弱くなったと言っても、侮れない集票力を持つ業界団体、労組、そして地元の県議、市議に票集めを依頼する。そこでは賄賂を渡さなくても、宣伝費、交通費、人件費等は払わなくてはならない。それについて法律が厳しすぎれば、ウラガネで対処する。それが今回のウラガネ問題の根っこだ。 インターネットやYouTubeで政策・政見を公表すれば、それで十分ではないかと言う人もいるが、そんなものを丹念に見て回る人間は滅多にいない。「選挙」という制度には無理があるのだ。 米国では選挙と称するものがやたら多い。移民国なので、選挙で皆の賛同を得たということが、決定を正当化するからだろう。筆者は米国の大学を卒業したが、50年経った今でも、筆者の自宅には、大学理事会の理事選挙の投票用紙が送られてくる。候補者についての詳しい情報もつけて。何も知らず、知ろうともしない者に投票用紙を送ってくるのは無責任だし、カネの無駄遣いだと思うのだが、大学にとっては「選挙の結果○○氏が第××期の理事に選ばれました」と書かないとかっこうがつかないので、これしかないのだろう。 かくて、選挙という近代民主主義の華は、その実効性が大いに怪しいものになっている。ここまでしてできている国会に意味はあるのか? 政府の役人が作り上げた法案を審議・採択することで、国民の審査を受けたということにできるからか? そんなことなら、今ではAIを使って、効率よく、安価にできるのではないか。問題は、政府の役人が書き上げたあらゆる法案、決定に意見表明するだけの暇を持った人間はめったにいない、ということだ。国会では一会期、つまり半年の間に百を越える法案を審議・採択している。その中には「特定土砂等の管理に関する法律案」など、国民の多くが関心を持たない問題もある。「国会などいらない。インターネットで国民投票すればいい」というように、簡単にはいかないのだ。