親が教師の若手芸人、なぜか「学校へ行こう!」は見せてもらえず その理由に蛍原「うそ…」
お笑いコンビ・金魚番長の箕輪智征が10月31日、テレビ朝日系「アメトーーク」で、教師の両親から禁止されていた意外な番組名を挙げた。 【写真】「学校へ行こう!」で一躍人気者→終了で仕事激減→農業インフルエンサーに転身したラッパー この日は「親が先生芸人」特集。箕輪は「父が高校の数学教師で母は中学の数学教師。数字ばっかり」だったと振り返った。やはり数学は「得意」だったといい、大学までは「数学が強い所に行った」と自己紹介。大学では「4年間、ヒジの人工関節の材料を作る研究をしていた」というが「4年目の実験で、ダーツ1回投げたら関節が壊れちゃって。それで諦めて金魚番長になった」と振り返った。 両親が教師の家庭であったことから、テレビも見ていい番組、ダメな番組があったといい、箕輪は「一番よく分からなかったのは、あんなに学校に行っている人たちなのに、『学校へ行こう!』はダメだった」といい、他の出演者からは「へえ~」「厳しい」などの声が。 箕輪は「今考えたら、屋上とか入っちゃいけない所だから、あんな所で大声で叫ぶとか、もってのほかと…」と親の考えを推察。蛍原徹らは「うそ、そんなところ?」と驚いていた。 「学校へ行こう!」は97年からTBS系で放送されたバラエティ。V6のメンバーが実際に学校に出向き、生徒たちと触れ合う企画が多く、特に校舎の屋上から生徒が叫ぶ「未成年の主張」が人気だった。