【家族のかたち】「母の再婚を心の底から喜べた」父の突然死で娘が抱えることになったものとは~その1~
取材・文/ふじのあやこ 昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきている。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたことや、親について、そして夫や妻、子どもについて思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫る。 * ソニー生命保険株式会社は、全国のシニア(50歳~79歳)の男女に対して「シニアの生活意識調査」(実施日:2024年8月2日~8月3日、有効回答数:全国の50歳~79歳の男女1000人、インターネット調査)を実施。現在の楽しみを聞いたところ、1位「旅行」(45.3%)、2位「テレビ/ドラマ」(39.9%)、3位「グルメ」(28.1%)となった。現在の楽しみを「旅行」と回答したシニア(453人)に、旅行に対する1か月の出費を聞いたところ、平均額は3.2万円となった。これを過去の調査結果と比較すると、平均額は2022年2.4万円、2023年2.9万円、2024年3.2万円と、2年連続で増加している。 今回お話を伺った和香子さん(仮名・42歳)は、20代のときに父親を亡くし、そこから家族のバランスは大きく変わったという。
真面目だった父は駐車場で突然倒れ、帰らぬ人になった
和香子さんは、両親と3歳上に姉のいる4人家族。父親は家の一部を教室にした、小さな学習塾をしていた。姉も和香子さんも中学生まではその塾で他の生徒に交じって勉強をしていたという。 「父親は元教師で、小学校のクラス2つと、中学生の学年ごとの3クラスがある塾を運営していました。数名しかいないクラスもあって、父は他の場所で講師の仕事もしていました。 私と姉は父親の塾で他の子たちと一緒に勉強をしていて、姉と私は勉強ができる子という評判でした。元々賢いわけではなく、先生の子どもというプレッシャーもあって、必死で勉強していたんです。父の塾の評判を落とすわけにはいかないので、塾での勉強の前には予習してから挑むこともありましたね」 父親は2人の姉妹の勉強を仕事以外でも見ていた。子どもたちに勉強を教えることが大好きだった父親は、和香子さんが23歳になる年に突然倒れ、亡くなった。 「不整脈で、自営の塾とは違う、講師として時間給で勤めていた場所の駐車場で倒れて、そのまま亡くなりました。運転席の扉が少し開いていたので、乗る直前に倒れたのだろうと。駐車場の奥のほうに車を停めていたことで、車に隠されて倒れていた父親の発見が遅くなってしまって……。あまりに突然で、私は出棺するまで泣けませんでした。燃やされたらもう父の姿は一生見れないんだって思ったら、やっとリアルな寂しさが湧いてきたんだと思います」 父親を亡くした母親は、葬儀を終えてしばらくしてから、ひどく不安定になったという。当時働き出したばかりの和香子さんは仕事を休むことができず、すでに嫁いで実家を離れていた姉が昼の間は実家に戻り、夜は和香子さんと交代で母親の側にいることになった。 「自殺しそうになるということはなかったのですが、逆に何もしないんです。食事をしたり、寝たりなど、普通の生活をしなくなりました。ただひたすら父の遺影を前にぼーっと座っていました。父親の意向で母親は結婚してからずっと仕事をしていませんでした。だから、本当に母には父と私たちだけだったんです。父がいなくなったのだから、父の分も私たちが母の側にいなければいけないと思いました」