「ベッドから転げ落ちそうになるほどの衝撃」100年経っても最先端な作品を残したカフカという存在 ガルシア=マルケスや安部公房に影響を与えた20世紀を代表する巨星
20世紀を代表する巨星フランツ・カフカの魅力を伝える『決定版カフカ短編集』と『カフカ断片集』が新潮社から刊行された。 本作を手掛けたのは『絶望名人カフカの人生論』がベストセラーとなった文学紹介者の頭木弘樹さんだ。 『決定版カフカ短編集』は、遺言で原稿の焼却を頼むほど自作への評価が厳しかったカフカの中でも自己評価が高かったといえる15編を厳選した一冊。『カフカ断片集』は、完成した作品の他に、手記やノート等に多くの断片を残したカフカの未完成な小説のかけらを集めた一冊となっている。 この2作について、頭木さんが自著を解説しながら、カフカの魅力を語った。
頭木弘樹・評「もう死んでいるから、その人らしく開花する」
カフカ没後100年だ。1924年6月3日、40歳でカフカは亡くなった(41歳の誕生日のちょうど1カ月前だった)。 生前にカフカはこんなことを書いている。 ある人物に対する、後世の人たちの判断が、同時代の人たちの判断よりも正しいのは、その人物がもう死んでいるからである。 人は、死んだあとにはじめて、ひとりきりになったときにはじめて、その人らしく開花する。 死とは、死者にとって、煙突掃除人の土曜の夜のようなもので、身体から煤を洗い落とすのだ。 (1920年の手記 拙訳『カフカ断片集―海辺の貝殻のようにうつろで、ひと足でふみつぶされそうだ―』新潮文庫) この言葉にしたがえば、没後100年たった今こそ、カフカは「その人らしく開花する」と言えるのかもしれない。 生前はほとんど無名だったカフカだが、今では世界中で読まれている。まさに「後世の人たちの判断が、同時代の人たちの判断よりも正しい」という状況だ。 そして、SNSなどを見ていると、カフカを初めて読んだ人が「なんだ、これは!」とびっくりしている。その衝撃は今も新鮮で、「当時は斬新な作品でした」などという説明は不要だ。これは驚くべきことではないだろうか。 ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が文庫化されることが話題だが、マルケスが作家になろうと思ったのも、カフカがきっかけだ。若いときにカフカの小説を初めて読んで、「ベッドから転げ落ちそうになるほどの衝撃」を受けたそうだ(「解説」大西亮『落葉 他12篇』新潮社)。 「こんなことができるとは知らなかった」「それまでは学校の教科書に出てくるわかりきったお決まりの物語しか知らなかった。でも、文学にはそれとはまったく別の可能性があると気づいたんだ」とインタビューでも語っている(『グアバの香り――ガルシア=マルケスとの対話』木村榮一訳 岩波書店)。 カフカが亡くなった年に生まれた安部公房は、今年が生誕100年だが、「今読んでも全く昔の小説だとは思えない」「そのままの状態でいまだに全然衰えを見せず、もし名前を全然知らない人が今読んだとしたら、これは新しい人が出てきたと思うでしょう」(「永遠のカフカ」)、「時間が経てば経つほどカフカの大きさが分ってくる」(「カフカの生命」)と語っている(『安部公房全集 27 1980.1-1984.11』新潮社)。 ただ、カフカ自身は自分の原稿を焼却するように遺言している。今でも私たちがカフカの作品を読めるのは親友のブロートが遺稿を守ってくれたからだ。ナチス・ドイツがプラハを占領する前夜に、遺稿を詰め込んだトランクを抱えてかろうじて逃げ出したこともあった。 燃やすように言ったとはいえ、カフカ自身にも愛着のある作品はあった。たとえば『判決』という短編について、「この物語はまるで本物の誕生のように脂や粘液で蔽われてぼくのなかから生れてきた」と日記に書いている(1913年2月11日)。その他にも、「ぼくは『火夫』をとてもよくできたと思っていた」(1913年5月24日の日記)、「『田舎医者』のような作品なら、ぼくも一時的な満足を覚えることができる」(1917年9月25日の日記)など、自分でほめている作品も、少ないながらある(『決定版カフカ全集7 日記』谷口茂訳 新潮社)。