『ヴェノム:ザ・ラストダンス』は中途半端な作品? シリーズを通して描いたメッセージも
『ヴェノム:ザ・ラストダンス』はヴェノムとエディの関係を下敷きとした“移民”の物語?
そんな二人を追うのは、シンビオートを捕食する強力な怪物「ゼノファージ」だ。そのあまりの強さに、ヴェノムは防戦一方で、逃げるしかない状況。そのゼノファージを送り出していたのは、ヴェノムの故郷クリンター星に幽閉されている、シンビオートの創造主ヌル。彼は牢の鍵「コーデックス」を手に入れるため、それを持つと考えられるヴェノム/エディに刺客を差し向けていたのである。 ヌルはマーベル・コミックの原作では、宇宙を破壊していくほどの力を持った、強大なヴィランとして知られているため、おそらくは今後の「スパイダーマン・ユニバース」において、絶対的な悪としてスパイダーマンの前に姿を現すことが考えられる。とはいえ、本作ではその実力はほとんど描かれない。 本作の展開が、やや中途半端なものに感じられる原因は、このように、今後活躍するかもしれないキャラクターたちが、紹介にとどまっているところにある。これから存在感を増していくことは結構なのだが、本作を一つの映画作品として観た場合、拡張的な要素が作品を構成する要素として十分に機能してくれないのである。 その最たるものが、旅のなかで助けてくれるヒッピーの家族や、メキシコのウィチョル族に伝わる、スピリチュアル的な世界観における「ニエリカ」などの要素だ。彼らのキャラクターや、民俗学的な概念は、やはり後の作品で花開くことになるのかもしれないが、本作でカタルシスを与える役としては弱過ぎるのではないか。 だが唯一、宇宙人の存在を信じるファミリーの父親が、率先して軍施設「エリア51」の塔に侵入して興奮しているときに、女性陣が黄昏(たそが)れている意味深げなシーンは、もはや何を見せられているのか分からないものの、美しい瞬間として印象深いものがあったことも指摘しておきたい。 そんな本作にテーマを見出そうとするならば、これまでのヴェノムとエディの関係を下敷きとした、“移民”の物語なのではないか。もともとヴェノムは、宇宙生命体シンビオートとして“不法”に地球にやって来た存在である。当局や軍に見つかれば、隔離されてしまうのだ。実際、本作では軍施設においてシンビオートたちが捕獲され実験体として扱われている、凄惨な場面がある。 そんなヴェノムが最後に見たかったという景色は、ニューヨーク、そしてアメリカの自由を象徴する「自由の女神」だった。アメリカには、歴史上さまざまな移民が住みついたが、多くの移民たちが船でアメリカに到着し、最初に目にするのが、ニューヨークの港とともに現れる「自由の女神」だったのである。 その姿を見たいと語るヴェノムは、すでに宇宙生物というより、心は「アメリカ国民」」だったのではないか。そんなヴェノムが、エディと“共生”し、犠牲的な精神で人々を守ろうとする境地に至る姿は、胸に響くものがある。そう考えれば、単にキャラクターの魅力のみで押し通そうとしているように見える本作『ヴェノム:ザ・ラストダンス』、そして本シリーズには、一つの筋が通っていたことに気づかされるのだ。 惜しむらくはシリーズのなかで、その重要なテーマを前面に出せなかったところではないか。観客をエンジョイさせつつも、現実の社会にもリンクする意義深いメッセージを描くことができたなら、本作や本シリーズは、キャラクターという大きな武器を持った名作として映画史に残っていたかもしれない。
小野寺系(k.onodera)