伊藤沙莉が歌う「モンパパ」に込められているものとは? 『虎に翼』が願う“民衆の力”
なぜ「モンパパ」が男性優位の社会でヒットしていたのか
なかなかシビアーな第30話のあと、『あさイチ』(NHK総合)では博多華丸が、寅子の愛唱歌「モンパパ」の歌詞を「どんだけパパ虐げられるんだ」と言っていた。鈴木アナも「あの歌、すごい」と。別れの海で寅子が歌ったシャンソン「モンパパ」は、花江(森田智望)と直道(上川周作)の披露宴でも歌われた。あのときも、男性主体で盛り上がり、女性はすんとした顔で控えめにしていて、寅子の歌は怒りに燃えていた。 「モンパパ」は1931年に日本で公開されたフランス映画『巴里っ子』の劇中歌で、宝塚で歌われ、エンターテイナーのエノケンこと榎本健一や仁村定一なども歌ってヒットソングになった。男尊女卑の時代において、ママが大きくて強くて、パパがいつもやりこめられているという逆転の歌詞で、華丸がパパに同情するのも無理はない。 ドラマのなかでは、女性たちが男性たちから不当な扱いを受けているにもかかわらず、この歌は咎められることなく、みんなが楽しく聞いている。 なぜ、この男性を小馬鹿にしたような歌が男性優位の社会でヒットしていたのだろう。それこそが芸能の力なのかなとも思う。おそらく、世間は薄々、男性有利の法律がナンセンスだとわかっていたのではないか。ただ、法律で定められているから黙って従っているし、あるいは、それが自分にとって有利になるなら黙っているほうが得策でもある。既得権益を守りたいってやつだ。 女性にも優秀で男性を凌駕するような強い人もいれば、男性にも心身ともに弱くて、とっちめられてしまう人もいる。それは、涼子の父と母(筒井真理子)との関係でもわかる。家と妻に抑圧されてきた男が「好きに生きろ」と娘に告げて芸者と逃避行した。 女性が家と夫に抑圧され、自由を求めて駆け落ちしたのは『花子とアン』の蓮子(仲間由紀恵)であり、どちらかというと女性が苦しむほうがポピュラーではあるが、男性だって、涼子の父のように、妻に精神的に暴力をふるわれ傷ついていることもあるのだ。優三(仲野太賀)のように試験になるとお腹を下してしまう心の弱さを持った者もいるのだ。 「モンパパ」は女性の強さを誇る歌のように見えるが、男たちを抑圧しようとする強い女を揶揄している歌にも思える。そのため、男性たちも問題視しないでこの歌を受け入れているのではないか。1936年にヒットした、夫が妻にはかなわない様子を歌った「うちの女房にゃ髭がある」も然り。 一方、寅子たちには「モンパパ」は女性と男性の立場の逆転を歌ったものとして、心の支えにしているようである。芸能の力とはこういうことで、様々な受け取り方ができるということだ。フランス映画の劇中歌だったこの歌を日本ではじめて歌ったのが、女性が男装して男役も演じる劇団・宝塚であったこともなんとも奥深いではないか。 そして、芸能とは、上から押し付けられるものではなく庶民から盛り上がっていくもの。「モンパパ」のように、ママがパパより強いこともあるし、ママがパパを虐げることもあることを、笑って歌える世の中は民衆の力から生まれるのだ。
木俣冬