仮面ライダーアクセルから14年 三十代になった木ノ本嶺浩が語る 転機となった作品
世界的な都市伝説に日本独自の解釈を加えたサスペンス・スリラー『THIS MAN』で、家族を守る父親役に挑戦した木ノ本嶺浩。 【画像】木ノ本嶺浩さんの撮りおろし写真をみる 一躍注目を浴びた仮面ライダーアクセルから14年。三十代における転機となった作品について語ってもらいました。
●俳優を目指し、自らジュノンボーイに応募
――幼い頃の夢は? 映画好きの親に連れられて、小学4年生のときに、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』を観に行ったのですが、アナキン・スカイウォーカー役の子役が僕と同じ1989年生だったんです。それで、まずは「ジェダイになりたい」と思いました。それが「映画に出たい」に変わり、そして「俳優になりたい」に変わっていった感じです。 ――特技の空手と陸上競技に関しては、どのタイミングで始められたのでしょうか? 空手は小学校2年生ぐらいに、地元地域のスポーツ少年団みたいなところに空手教室があったのを見つけて、「やってみたい」と始めたのがきっかけですね。そこから高校を卒業して、東京出てくるまでの10年間続けました。 球技が苦手だったこともあり、どんどんハマっていき、子どもたちに教えるのも楽しかったです。陸上競技は中学の部活きっかけで、こちらも高校卒業まで、空手と並行してやっていました。中学では走り高跳び、高校では110mハードルをやっていました。 ――06年に、「第19回ジュノンスーパーボーイコンテスト」にて、審査員特別賞を受賞されます。応募理由は、やはり「俳優になりたいから」だったのですか? 高校2年生のとき、今後の進路を考えたとき、「大学に行くか? それとも俳優になるか?」という選択があり、親に相談をしたんです。そしたら、「自分の好きなことをやりなさい」と言われ、自分から応募しました。ジュノンボーイから俳優として活躍される方が多かったからです。それでダメだったら進学しようと思っていたのですが、幸運にも審査員特別賞をいただき、事務所に入ることになりました。