米国で和菓子を作り続けて120年、LAの「風月堂」が生き残ってこれた理由─日本人強制収容やLA暴動… 歴史の荒波を乗り越えてチャンスを掴んだ
ロサンゼルスのリトル東京は、米国に残る数少ない日本人街のひとつだ。140年の歴史のなかで、この地は戦争や暴動など、多くの危機を乗り越えてきた。 【画像】米国で和菓子を作り続けて120年、LAの「風月堂」が生き残れた理由 米紙「ニューヨーク・タイムズ」は、リトル東京で120年にわたり営業を続けてきた和菓子屋「風月堂」に注目。歴史の荒波にもまれながら、彼らが店を続けてこれたのはなぜなのか。一時は閉業も考えたというこの店は、いかにして息を吹き返したのか──。
海と世代を越えて伝統を受け継ぐ
ロサンゼルスのリトル東京にある「風月堂」は、1903年以来、この地で和菓子を作り続けている。 1950年代からほとんど変わらない店内には、木製の棚とガラスのショーケースが並ぶ。従業員たちは使い込まれたリノリウムのカウンタートップで、ピンク色の紙でお菓子を包んでいる。のれんで覆われた出入り口を抜けると小さな工場があり、カラフルな餅菓子や饅頭が生産されている。 この店の3代目店主であるブライアン・キトー(68)は、祖父のセイイチが創業当時から使用していた手作りの焼き印を饅頭に押すことはもうしていないが、いまでもそれらを工場に保管している。 彼ら一家は、日本人強制収容、都市の再開発、LA暴動など、リトル東京を脅かした数々の激動の時代を経て、風月堂を守ってきた。現在、店は繁盛している。 ブライアンは息子のコーリーに後を継がせる準備を進めている。老舗の家業を守るのは大変な仕事だが、ブライアンにとって、この店を存続させることはそれ以上の意味を持つ。それは自身が育ったリトル東京を守り、世代だけではなく海をも越えて、文化的伝統を築こうとすることでもあるのだ。 「去年、釣りに行ったんです。最後に釣れたのがとても立派なマスで、20分以上かかりました。釣り上げたそのマスを見て、こう思ったんです。『お前は生きる価値がある』と。それで私はマスを放流しました」とブライアンは言う。 「お店もそんな感じです。切羽詰まった状況になっても、この店は自力で生き残れるみたいです」