生活保護にバイト面接20社… いしだ壱成が石川県移住で味わった、苦悩と再生の10年間 #人生100年 #令和のカネ
『未成年』『聖者の行進』など1990年代に数々の高視聴率ドラマに出演してきたいしだ壱成(49)。プライベートでは3度の結婚、離婚で世間を騒がせてきた。約10年半に及ぶ石川県での生活を終え、2022年に再び東京に戻ってきた彼は今、何を思うのか。地方移住の理想と現実、そして手に入れたものとは――。父親の石田純一との関係についても赤裸々に激白した。(文:岡野誠/撮影:栗原洋平/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
石川県と東京の2拠点生活へ
「小さい頃から山梨県の八ケ岳や鹿児島県の屋久島などを転々として、自給自足の生活をしていた時期が長かった。だから、物質的な東京での生活にずっと違和感を持っていました。ちょっと都会を離れたくなったんです」 36歳の2011年秋、いしだ壱成は石川県と東京の2拠点生活を始めた。住み始めたのは金沢市からクルマで40分ほど離れた、白山市鶴来という小さな街だった。 「月4万円で2DKのアパートを借りました。すぐ近くに、僕の大好きな白山比咩神社があったのも決め手になりましたね」 自然に恵まれ、人も温かく、家賃も安い。田舎暮らしには多数のメリットがある。一方、都会からの移住者は仕事の問題に直面しがちだ。壱成もその悩みにぶつかった。 「ドラマや映画は主に東京で撮影される。石川で演技のワークショップの講師もしていましたが、それだけでは生活できない。地元のテレビ局を中心に活動できるかと言えば、それも難しい。ギャラの相場は東京からタレントをゲストに呼ぶと1回8万円前後らしいのですが、毎週のレギュラーで起用すると1回1万5000円くらいに下がる。芸人さんと違って、ショッピングモールの営業などに行けるわけでもない。結局、仕事は東京、生活は石川となって移動費がかさみました」
“星川一星”との間に生まれ始めたギャップ
地方移住をきっかけに波瀾万丈の日々が“再び”始まった――。思い返せば、壱成は幼少期から激動の人生を歩んできた。1974年、学生結婚をした石田純一の長男・一星として誕生。2歳の時、両親が離婚。母と暮らしていた小学1年生の頃、何げなくテレビを見ていると、「これがお父さんだよ」と教えられた。父との再会は16歳の時、突然訪れた。 「(純一の姉で歌手の)桃子さんのコンサート終わりに、少し挨拶を交わしました。父がトレンディードラマに何本も出ていた頃でしたから、芸能人に会うような気持ちでしたね。父という感覚は全くなかった。今後もあまり関わらないだろうと思っていました」 予想は見事に外れた。翌日から、純一は壱成を毎日のように誘った。ドラマの撮影現場に連れて行き、終わると食事を共にした。だが、大スターを前に壱成の緊張は解けないままだった。ある日、焼肉屋の個室でカルビを焼く音だけが響く中、父が急に切り出した。 純一:将来どうするの? 壱成:いやあ、バンドマンとかですかね。 純一:芝居は興味ないの? 壱成:寺山修司は大好きです。『天井桟敷』のようなアングラ劇団とか。 純一:やってみたいと思う? 壱成:まあ、そうですね。全然考えてないですけど、やってみたいとは思います。 純一:いやいや、テレビに出ようよ。 この一言がきっかけで、壱成は芸能界に入った。 「父は劇団での活動が長く、食えない時代が続いた。親心で、そう言ってくれたのだと思います。そこで父の個人事務所に入りました」